ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【動物倫理学】道徳と、人間と動物のきずな|「苦痛」以外の動物の倫理的考慮の基準

 

 ピーター・シンガーによれば、どんな生きものであろうと、平等の原則がその苦しみが他の生きものと同様の苦しみと同等に考慮されなければならない。

 

【参考:動物の解放】

 

 人間であれ人間以外の動物であれ、苦痛という「感覚」を持つことが、その生きものの利益を考慮するかどうかについての唯一の妥当な判断基準となる。(注1)

 

 しかし、人間以外の動物を倫理的考慮の対象にする場合、その基準を「苦痛」だけに求めることは十分ではない。

 

 例えば、野生動物を「野生動物として」、家畜動物を「家畜動物として」そして伴侶動物を「伴侶動物として」われわれは、理解しなければならない。ピーター・シンガーをはじめ、動物倫理学を扱う多くの研究者たちはその対象を一括りに扱っている。

 

 一方、『コンパニオン・アニマルー人と動物のきずなを求めて』所収、バーナード・E・ローリンの論文「道徳、人間と動物のきずな」は対象を伴侶動物に絞る。彼は、人間以外の動物を倫理的考慮の対象にする基準を「苦痛」以外に置く。

 

 彼によれば、人間と人間以外の動物の間に見逃すことができない異なる重要な関係がある。人間にとって、伴侶動物は確かに道具としての価値を持つ。

 

 一方、動物には生命を持った感覚のある「道徳的存在」として、本来的価値がある。これら動物は、人間にとって重要であるかとは無関係である。動物自身は生命を持つ存在である。効用より、遥かに重みのある「道徳という絆」によって、われわれは彼らと結ばれている。(注2)

 

 

 ここで彼が言いたいことは、われわれと伴侶動物との関係のあり方である。彼はカントの「目的」という概念を持ちだして、伴侶動物を愛玩目的の「手段」として利用することは、間違っていることを指摘する。愛玩動物の役割を超えて、伴侶動物にも生命を持った感覚のある「道徳的存在」としての本来的価値を彼は認める。

 

 もしも人間以外の動物が道徳的配慮の対象であるならば、道徳的に正当な理由がない限り、どんなことがあってもわれわれは人間以外の動物を殺してはならないし彼/彼女らの本性を侵害してはならない。

 

 また、人間と人間以外の動物との相違点とされてきたものの中で、道徳的観点から妥当性のあるものはまったくないと彼は主張する。人間にとって、道徳的に妥当性があり重要であるとわれわれが考える特徴が、人間以外の動物にも備わっている。

 

 それは次の2点である。(注3)

①生きていること
②食物、仲間関係、性、運動、痛みの回避など自身にとって身体上、行動上必要なものや重要なものを持っていること

 

 

 確かに、①も②も人間も人間以外の動物も道徳的に妥当性があり重要である特徴である。この点から考えると、苦痛という「感覚」が、生きものの利益を考慮するかどうかについて唯一の妥当な判断基準である、というシンガーの主張は揺らぐ。

 

 以上の点を踏まえて、彼は動物への栄養上や生物上の要求について、われわれは理解が欠けていることを彼は指摘する。その結果、望まれない動物が増えたり野犬の群れなどが出現する。(注4)

 

 本論文にあるように、例えば人間以外の動物は「痛みを感じない」ことや「理性を持たない」という主張など、多くの説得力のない議論や動物への無理解が彼/彼女らを「手段」として扱うことに繋がった。

 

 長年共に生活を重ねると、単なる「癒やし」を与えてくれる存在を超えて、伴侶動物は「かけがえのない存在」となる。生命を持つ感覚ある「道徳的存在」としての本来的価値をお互い認め合うならば、人間と人間以外の動物という関係を超えた「特別な間柄」を、われわれは構築できるようになるだろう。【終わり】

 

(注1)Singer,2009,邦頁 30 参照.

(注2) Rollin,1981,邦頁 182 参照.

(注3) Rollin,1981,邦頁 188 参照.

(注3) Rollin,1981,邦頁 195 参照.

 

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