ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【カント道徳哲学】道徳形而上学の基礎づけ|道徳の最高原理の探求とその確立

道徳形而上学の基礎づけ [新装版]

道徳形而上学の基礎づけ [新装版]

 

 

 カーネギーの著書『人を動かす』には、「人の立場に身を置く」や「笑顔を忘れない」など様々な原則が、書かれている。この原則が、世界中の人々の心を打ち、『人を動かす』は未だにベストセラーになっている。

 

【参考:人を動かす 文庫版】

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

 

 この著作の中で書かれている原則はすべて「いつでも・どこでも・誰にでも」当てはまる。このような原則の最上位にある法則を『道徳形而上学の基礎づけ』(以下『基礎づけ』と略記)で、カントは探究する。

 

 『基礎づけ』の目的は、道徳の最高原理を探求しその確立をすることである。このことについて、今回は解説する。本記事で、カント道徳哲学が何を目指しているかが分かるはずである。

 

 1.『基礎づけ』の出発点は「善い意志」

 

 『基礎づけ』第1章「通常の道徳的理性認識から哲学的な道徳的理性認識への移行」は、次の文から始まる。

 

 この世界のうちで、いなそれどころかこの世界の外においてすらも、無制限に善いと見なしうるものがあれば、それはただ善い意志のみであって、それ以外には考えられない。(Ⅳ,393)

 

 「善い意志」とは、例えば「人に親切にしよう」とすることや「誠実であろう」とするわれわれの意志である。このような「善い意志」を分析し道徳の最高原理を、『基礎づけ』の中で、カントは探っていく。

 

 その結論が、「汝の意志の格率が普遍的法則となることを、その格率を通じて汝が同時に意欲することができるような、そうした格率に従って行為せよ」(Ⅳ,421)という「道徳法則」に繋がる。

 

2.カントは道徳法則を「常識」から探る

 

 道徳の最高原理を、われわれの「常識」からカントは探っていく。『基礎づけ』によれば、「善い意志」は既にわれわれの「常識」の中に備わっている。

 

 「善い意志」は教えられるというよりも、単に啓発されるだけでよい。この概念を展開するため、カントは「義務」を取り上げる。簡単に言うと、「義務」とは「善い行為への強制力」である。

 

【参考:過去記事】

chine-mori.hatenablog.jp

 

 「義務」は、強制力を意味する。この点から道徳を法則化するならば、「○○せよ」という分の形になるとカントは考えた。これを「命法」という。

 

 ここでいう「法」とは、文型のことである。「命法」とは、「○○せよ」という「命令形」を意味する。「命法」には、2つのパターンが考えられる。それは、「仮言命法」と「定言命法」である。

 

 「仮言命法」とは「もし××ならば、○○せよ」という、条件付きの「命令形」である。一方、「定言命法」とは無条件的に「○○せよ」という「命令形」である。

 

 「仮言命法」は、条件付きの「命法」であるため、道徳の最高原理としてふさわしくない。したがって、カントは無条件的である「定言命法」を採用する。カントによれば、「いつでも・どこでも・誰にでも」当てはまることが「定言命法」の条件である。

 

 カントは「汝の意志の格率が普遍的法則となることを、その格率を通じて汝が同時に意欲することができるような、そうした格率に従って行為せよ」(Ⅳ,421)という道徳の最高原理である「定言命法」の方式を採った「道徳法則」を確立した。

 

■まとめ

 

 以上、今回は『人を動かす』からカントにとって道徳の最高原理である「道徳法則」について解説した。「常識」から「道徳法則」を導き出す過程で、カントは道徳の最高原理を探求してその確立を図ったことが分かったはずである。

 

 哲学書を読む際に、その思想家がどんな問題意識を持ち、何を前提としているかを考察することはとても重要である。今回の記事で、カント道徳哲学の目的を理解し、この分野に興味を持ってくれたら幸いである。【終わり】

 

↓その他参考文献↓