ネコと倫理学

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【動物倫理学】アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理|「他者への配慮」は動物への倫理的配慮の基準になり得る

 

 過去記事で、 動物への倫理的配慮の基準を「苦痛」だけではなく「動物の豊かな内面」という、ひとつの視点を提示した。

 

【参考:過去記事】

chine-mori.hatenablog.

 

 この作業を通して、シンガーが言う「苦痛」という動物への倫理的配慮の基準だけでなく、それ以外の基準も設けながら、動物への倫理的配慮について見直す必要性を主張した。

 

 今回は佐藤衆介著『アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理』を手がかりに、動物への倫理的配慮の基準としての「他者への配慮」の可能性について、倫理学というよりも動物行動学的視点で検討する。

 

 その際、本書で取り挙げられているウシの舐行動とJ.Maason & S.McCarthyの事例を中心に、「他者への配慮」という視点から動物への倫理的配慮の基準を探っていく。

 

■ウシの舐行動ーウシも仲間に配慮する

 ウシ集団で「仲よし関係」がどのように作られるかについて、著者は約20年研究してきた。以下、ウシの舐行動に関する著者の「他者への配慮」の事例と見解を示す。

 

 「仲よし関係」の証は、近くで生活し危急の時には援助したり、食べ物を分け与えたり、世話行動に見られる。ウシの場合、「仲よし関係」の証は主に世話行動である毛繕いすなわち「舐行動」で見られる。

 

 ウシの舌は、タワシのようにざらざらして長い。その舌で、仲間の頭や尾などあらゆる部分を舐めてやる。舐められている最中、ウシは目を半開きなりウトウトしたり、心拍数が1分当たり4拍程度に低下する。

 

 このウシの舐行動の結果から、ウシは舐められることで心理的な安寧を感じている、と著者は理解する。

 

 ウシにとって、他のウシから舐められることは「喜び」という情動をもたらす。この行動は、被毛の衛生効果や「心理的安寧効果」という実利をもたらす。

 

 様々な効果の結果として、よく舐められるウシは泌乳量が多い。子ウシでは下痢も少なく体重の増加も多い。

 

 確かに行う側にとって舐行動は疲れるし、捕食獣への警戒心は落ちる。短絡的に見れば、この行為は時間の無駄である。それでも、ウシはこの行動によって仲間に配慮する。

 

 ただし、どの仲間にも均等に舐行動を施すわけではない。半兄弟以上の血縁の濃い相手や、同居期間が4ヶ月以上の相手に舐行動が多く向けられる。(注1)

 

 以上が、ウシの舐行動に関する著者の「他者への配慮」事例と見解である。

 

 われわれも家族や恋人などごく近しい間柄で、頭を撫でたり体に触れたりするなどスキンシップを図る。この行動が「他者への配慮」の表れとなる。

 

 このような「他者への配慮」による行動が倫理的出発点となるならば、それは人間以外の動物にも当てはまらなければならない。

 

■J.Maason & S.McCarthyの事例ー様々な動物が仲間に配慮する

  ウシ以外でも、様々な動物が仲間に配慮する事例がある。科学ジャーナリストのJ.Maason & S.McCarthyの事例を本書では紹介している。(注2)

 

 まとめると以下の5点である。

 

・死んだ子ゾウをいつまでも持ち運ぶため移動に遅れがちなアフリカ象を群れの仲間が待つ。
・アフリカスイギュウ、シマウマ、トムソンガゼルは仲間の一頭を襲ったライオンを皆で追い払う。
・ニジチュウハチという鳥を撃ち落としたとき仲間が襲ってきた。
・キツネが負傷した仲間に餌を運ぶ。
・イルカやクジラは呼吸ができない仲間の体を支えて水面に押し上げる。

 

【参考:ナショナル ジオグラフィック TV】

www.youtube.com

 

 それ以外に、われわれも含むテナガザルやチンパンジーなど狭鼻猿類は仲間同士でエサを分け合ったりケンカの場面では手助けを行う。

 

 著者の見解では、仲間への配慮行動は様々な動物で普遍的に見られる。「危険な目に遭っている仲間を命がけで救助に向かう」ことや「飢えて死にそうな人を見ると食事を与える」など「困った人に手を差し伸べる」行為は、倫理的だと称賛されることは多い。

 

 先の事例のように、われわれが倫理的であると認識する行為を人間以外の動物も行うことがある。このことから、ウシ以外の様々な動物もわれわれ人間と同じ他者を配慮しながら生活を送っていると考えられる。

 

■まとめ

 以上、佐藤衆介著『アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理』を手がかりに、「他者への配慮」が動物への道徳的配慮の基準になり得るか検討してきた。

 

 シンガーは動物への道徳的配慮の基準として「苦痛」を取り挙げた。なぜなら「苦痛」は人間にも人間以外の動物にも共通する感覚だからである。

 

【参考:動物の解放】

 

 同じように考えるのであれば、「苦痛」だけでなく「他者への配慮」も動物への倫理的配慮の基準として認めなければならない。一面的な見方をするのではなく、多角的な視点で物事は捉えるべきである。これは動物倫理学でも同じことが言える。【終わり】

 

(注1) 佐藤,2005,139ー143 参照.

(注2)佐藤,2005,145 参照.

 

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