ネコと倫理学

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【要約と注釈①】たんなる理性の限界内の宗教|第1版序文(段落1~段落3)

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

  • 作者:カント
  • 発売日: 2000/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

[内容]

第1版序文(1793年)

 ・段落1 要約と注釈

 ・段落2 要約と注釈

 ・段落3 要約と注釈

 文献

 

[段落1] 

要約

人間は、自由な存在である。それゆえ人間は、自己自身を理性により無制約な法則に結びつける存在者でもある。このような存在者としての人間の概念に基づく限り、道徳は、人間の「義務」を認識するのに人間を超えた人間以外の存在者の理念を必要としない。また道徳は、「義務」を遵守するのに法則以外の動機も必要としない。そのような要求が人間の中に見出されるとすれば、少なくともそれは人間自身の咎である。その要求は、他の何ものによっても満たされない。そもそも理性の法則によって採用されるべき「格率」の普遍的合法則性があらゆる目的の最上の制約である。例えば法廷で証言する際、私は誠実であるべきなのかということを知るには目的など頓着する必要はない。それがどんなものなの、どうでもよい。むしろ自白が合法的に求められているのに、まだ何か目的を探さなくてはと思う人は、それだけで卑劣漢である。(Ⅵ,3)

 
注釈

 カントは、まず人間を「自由な存在」と位置づける。カントにとって、人間は法則に結びつける存在者である。ここでの法則とは、「道徳法則」であると考えられる。「道徳法則」に結びついた「自由な存在」として人間観をカントは持つ。それで、道徳は人間の「義務」を認識するのに人間を超えた人間以外の存在者の理念、つまり「神」のような存在者を必要としない。また、「理性の法則」である「道徳法則」によって採用されるべき「格率」の普遍的合法則性を最上目的として、カントは捉える。

 

[段落2]

要約

道徳は、意志規定に先立たなくてはならない目的表象を必要としない。しかしそのような目的に必然的関係を持つことは、あり得る。道徳にとって正しく行為するための目的は、必要ではない。自由の行使一般の形式的制約を含む法則だけで、その目的は十分である。しかし、道徳から目的は生まれてくる。次の問いの回答がどのような結果になるかについて、理性は無関心でいることなどできない。それは「正しく行為するとして、そこから何が生じるのか。なすこと・なさざることを何に向ければよいのか。少なくとも何をそれに一致するための目的とすればよいのか」という問いである。われわれが抱く目的すべての形式的制約(義務)は、同時にそれらすべての目的によって生じるもので、形式的制約と調和するものすべてを共に統合して含むものは、世界で最高善の理念に過ぎない。その可能性のため、道徳的で聖にして全能の一層高次の存在者を想定しなければならない。ただし、この理念は空虚ではない。ここで最も重要な点はこの理念の方が道徳に端を発し、それを立てることがすでに人倫の原則を前提する目的であるということである。道徳にとっても万物の究極目的という概念を作れるかどうかはどうでもいいはずはない。道徳を敬う人で実践理性に導かれて世界を「創り出す」とすれば、その人は「最高善」という道徳的理念を伴う仕方でしか世界を選ばない。可能な「最高善」の実現を「道徳法則」が欲するので、その人もひとつの世界が現存在することを意欲する。これによって、その人は「義務」に対して究極目的を考えたいという要求を証明している。(Ⅵ,3-5)

 
 注釈

 ここでいう「目的」とは、「○○するために」という意味での目的だと考えられる。カントにとって、「人に親切にしよう」とか「誠実であろう」という道徳的な意志規定には前もって、例えば「人に好かれるために」とか「称賛を得るために」という目的は必要ない。「自由の行使一般の形式的制約を含む法則」つまり、「道徳法則」だけでその目的は十分果たされる。ただし「正しく行為するとして、そこから何が生じるのか。なすこと・なさざることを何に向ければよいのか。少なくとも何をそれに一致するための目的とすればよいのか」という問いの結果に、理性は無関心でいられない。形式的制約としての「義務」は、それらすべての目的によって生じる。形式的制約と調和するものすべてを共に統合して含むものは、「最高善」の理念だけである。その可能性のために、道徳的に聖にして全能の一層高次の存在者を想定しなければならない。

 

[段落3]

要約

道徳が宗教に至るのは、避けられない。道徳は、宗教により人間以外の力を持つ道徳的立法者という理念にまで拡大される。人間の究極目的であり得てあるべきものが、この道徳的立法者の意志でも、同時に究極目的である。(Ⅵ,6)

 
注釈

 カントによれば、「最高善」の理念の可能性のため道徳は宗教に至る。道徳は宗教によって人間以外の力を持つ道徳的立法者、つまり「神」という理念にまで拡大される。道徳的立法者である「神」の意志も人間も、「最高善」が究極目的である。

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).【続く】

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。