ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【要約と注釈⑱】たんなる理性の限界内の宗教|第2編第1章(c)(段落1~段落3)

 

[内容]

第2編 人間の支配をめぐっての善の原理による悪との戦いについて

第1章 人間支配への善の原理の権利主張について

c この理念の実在性に突きつけられる難問、およびその解決 

 ・段落1 要約と注釈

 ・段落2 要約と注釈

 ・段落3 要約と注釈

 文献

 

[段落1]

要約

第1の難問は、次のものである。法則によれば、「天のあなたたちの父が聖であるように、あなたたちも聖でありなさい」という。われわれが自らの中に実現すべき善と離脱しなければ、悪との隔たりは無限であり生き方が法則の聖性に適合していることについて時間の中で追いつけない。振舞は、法則と一致する普遍的で純粋な「格率」に措定されなければならない。これはひとつの「回心」である。「回心」は「義務」であり可能でなければならない。(Ⅵ,66ー67)

注釈

  第1章aより、「この理念」とは「善の原理の人格化された理念」である。道徳法則は、「天のあなたたちの父が聖であるように、あなたたちも聖でありなさい」ということを示す。われわれが自らの中に実現すべき善と離脱しなければ、悪との隔たりは無限である。われわれの生き方は、道徳法則の「聖性」に適合していることについて時間的に制約がない。われわれの行動や振舞は、道徳法則と一致する「格率」に措定されなければならない。このことを、カントは「回心」と呼ぶ。ここで、「回心」をカントは「義務」と結び付ける。

 

[段落2]

要約

第2の難問は、「道徳的幸福」に関するものである。道徳的幸福は、善について常に前進していく心術の現実性や「恒常性」の保証である。そもそも「そのような心術の不変性が堅く保証されていいれば」、絶えず「神の国を求めること」は、すでに自分がこの国を所有していることを知っているのと同じである。この心術を抱く人間は自ずと「その他一切も与えられる」と信じることになる。(Ⅵ,67ー68)

注釈

 善について、道徳的幸福は常に前進していく心術の現実性や「恒常性」の保証である。常に前進していく心術が不変性として確実に保証されていれば、絶えず「神の国を求めること」は、自分がこの国を所有していることを知っているのと同じである。

 

[段落3]

要約

自分の願いについて懸念を抱く人間には、「彼(神)の霊がわれわれの霊に証を与えてくれる」ことなどを参考にするよう指示してやることはできよう。人はうぬぼれに味方してくれるものに、思い違いをしやすいことはない。むしろ、「恐れとおののきをもって自らの浄福を得る」ことの方が有益である。しかし、一旦採用した心術に「まったく」信頼を置かないとすれば、その心術のままでいるという恒常性など不可能である。甘い狂信でも不安に満ちた狂信でも、それに身を委ねずとも心に定めた企図とこれまでの自分の生き方を比較することから信頼が現れてくる。(Ⅵ,68ー71)

注釈

  自分の願いについて懸念を抱く人間には、「神の霊がわれわれの霊に証を与えてくれる」ことを指示してやることはできる。人は、「恐れとおののきをもって自らの浄福を得る」ことの方が有益である。しかし、1度採用した心術に信頼を置かないならば、その心術のままでいるという恒常性など人は不可能である。甘い狂信であろうと不安に満ちた狂信であろうと、これら狂信に身を委ねず、心に定めた企図とこれまでの自分の生き方を比較することから信頼が現れてくる。

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).【続く】

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。