ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【第1回】21世紀の道徳|差別とは「不合理な区別」である【動物倫理学】

 

 「動物倫理学」を学習する上での第一歩は、「種差別」(speciesism)という概念を理解することにある。「種差別」という言葉は心理学者リチャード・ライダーが初めて使用し、ピーター・シンガーが『動物の解放』で世に広めた。

 

【参考:「種差別」という概念】

pyrabital.hatenablog.com

 

 また人間と人間以外の動物の道徳的関係性を考える上で、ベンジャミン・クリッツァーの『21世紀の道徳』がひとつの手がかりとなる。本書でクリッツァーは、「差別」の区分に新たな切り口を与える。

 

 今回は、彼の著書の第3章『なぜ動物を傷つけることは「差別」であるのか』を参考に、「差別」と「区別」について検討する。この作業が今後、「動物倫理学」への理解をより深化させるだろう。

 

[内容]

■【第1回】シンガーの「種差別」

■【第2回】「差別」とは「不合理な区別」

■【第2回】まとめ

 

■シンガーの「種差別」

 

 クリッツァーの主張を検討する前に、「種差別」の基本的な考えから確認する。端的にいうと、「種差別」とは人間以外の生物への差別である。

 

 「種差別」という考えは、「人種差別」 (racism) に倣って作られた用語である。「動物の権利」(animal rights)の提唱者によって、この言葉は使用される。

 

 この立場によれば、人間のみを特権的地位に位置づけ、他の生物をないがしろにする「差別」は不当となる。

 

 『動物の解放』の中で、シンガーは「種差別」を次のように定義する。

 

スピシーシズムは・・・(中略)・・・私たちの種〔人類〕の成員に有利で、他の種の成員にとっては不利な偏見ないしは偏った態度なのである。(邦頁 27)

 

【参考:動物の解放】

 

 シンガーによれば、「種差別」とはわれわれ人間に有利で、人間以外の生物にとって不利な偏見または偏った態度を意味する。

 

 ただしシンガーによれば、植物は喜びや苦痛を感じない。基本的に「種差別」という言葉は、人間以外の動物を対象とすると考えてよい。

 

 「食肉」や「娯楽」として動物を利用することを正当化する根底の中に、われわれは「種差別」的な態度を見る。

 

 味覚による快楽や、闘牛や闘鶏などによって得られる興奮や楽しさなどは動物の苦痛に比べると些細なものに過ぎない。しかし、われわれは無意識に自らの種の利益を重視する。

 

 シンガーの主張の基本路線は、古典的功利主義者であるベンサムの『道徳および立法の諸原理序説』が根拠となる。

 

『道徳および立法の諸原理序説』は、次の一節から始まる。

 

自然は人類を苦痛と快楽という、2人の主催者の支配下に置いてきた。われわれが何をしなければならないかということを指示し、またわれわれが何をするだろうかということを決定するのは、単に苦痛と快楽だけである。

 

【参考:道徳および立法の諸原理序説】

 

 「功利主義」(utilitarianism)は、道徳的判断を「苦痛」と「快楽」に置く。多くの人間が心地よさを感じるのであれば、それは善い行為である。一方、多くの人間が不快に思うのであれば、それは悪い行為である。

 

【参考:過去記事】

chine-mori.hatenablog.jp

 

 「功利主義」の「快苦の原則」を、「動物の権利」に拡大した人物がシンガーである。

 

 さて、筆者は「種差別」に反対しそこに合理性はないという立場である。また「快苦の原則」は、人間にも人間以外の動物にも共通する部分であることも支持する。

 

 一方で、われわれ人間が持つ能力や権利と、人間以外の動物が持つ能力とは異なり、それに伴う権利も当然異なる。この点を、われわれは区別しなければならない。

 

 このように主張するのが、クリッツァーである。次に、彼の著書『21世紀の道徳』の第3章『なぜ動物を傷つけることは「差別」であるのか』から、「差別」と「区別」について検討する。【続く】

 

↓次の記事も参考↓

davitrice.hatenadiary.jp

 

【次の記事】

chine-mori.hatenablog.jp