ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【第2回】21世紀の道徳|差別とは「不合理な区別」である【動物倫理学】

 

 本記事【第1回】で、「動物倫理学」を学習する上での第一歩は、「種差別」(speciesism)という概念を理解することであるという考えを示した。そしてシンガーの議論を基に、「種差別」の基本的な考えを確認した。

 

 その後、われわれ人間が持つ能力や権利と人間以外の動物が持つ能力とは異なり、それに伴う権利も当然異なるという私見を示した。

 

【参考:過去記事】

chine-mori.hatenablog.jp

 

 この議論を深めるため、【第2回】となる今回はベンジャミン・クリッツァーの著書『21世紀の道徳』の第3章『なぜ動物を傷つけることは「差別」であるのか』から、「差別」と「区別」について検討する。

 

[内容]

■【第1回】シンガーの「種差別」

■【第2回】「差別」とは「不合理な区別」

■【第2回】まとめ

 

■差別とは「不合理な区別」 

 

 クリッツァーによれば、「差別」とは「不合理な区別」である。彼はその著書の中で、次のように述べる。

 

 差別とは「不合理な区別」、あるいは「正当な理由を持たない区別」だ。逆に言えば、合理的な区別や正当な理由を持つ区別は差別ではなく、ただの区別である。(p.67 太字は筆者)

 

 この箇所で、クリッツァーは「区別」を「合理的な区別や正当な理由を持つ区別」と、「不合理な区別」あるいは「正当な理由を持たない区別」に分ける。そして「不合理な区別」あるいは「正当な理由を持たない区別」を「差別」と定義し、「合理的な区別や正当な理由を持つ区別」を単なる「区別」と定義する。

 

 「差別」と「区別」について考える上で、彼は選挙権の有無を例に挙げる。

 

 現代の日本社会では、日本国籍を持ち18歳以上であれば誰でも選挙権を持つ。この条件に関して、大半の人は異論を持たない。

 

 一方、5歳の子どもが選挙権を持たないことを非合理で不当であると考える人は、ほとんどいない。なぜなら投票行動は自分にとって利益となる政策を理解したり、それぞれの政治家の資質評価をしたりするなど複雑な種類の知的能力が要請されるからである。

 

 この理由から、少なくとも5歳の子どもに投票権を適切に行使する政治的判断力はないことは確実である。

 

 この事例から考えて、5歳の子どもが選挙権を持たないことは正当な理由に基づく合理的な「区別」である。

 

 同様にクリッツァーの立場に立つと、犬や猫などが選挙権を持たないことは「区別」である。伴侶動物についての政策は、犬猫の生活に影響を与える可能生は大いにある。しかし彼/彼女たちには自らに関わる政策内容を理解したり、判断したりする能力はない。犬猫が選挙権を持たないことは正当で理由ある「区別」である。

 

 では、動物は何の権利も持たないのか。クリッツァーによれば、「自由権」や「生存権」について動物はこれら権利を持たないと断言することはできない。

 

 日本国憲法では「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」がわれわれに保障されている。この点は人間以外の動物にも認めるべきであると、クリッツァーは主張する。

 

 文化的生活はさておき、犬猫でも不健康な生活を送ると病気になって苦しみ不利益を被る。また他の動物と同様に、犬猫も自由に行動できることを望む。

 

 選挙権の有無とは異なり、健康な生活に関わる利益や身体を侵害されないことに関わる利益は人間同様、人間以外の動物も持つ。このように考えるならば、生物種に応じた区別は不当になる。この「不合理な区別」こそ「種差別」であると、クリッツァーは断言する。

 

■まとめ

  

 以上、われわれはシンガーの「種差別」に関する議論を整理し、「不合理的な区別」である「差別」と「合理的な区別」である単なる「区別」があることをクリッツァーの議論を通して検討してきた。

 

 このようにシンガーとクリッツァーの議論を整理することによって、「動物倫理学」で語られる「種差別」という考えがより明確になっただろう。

 

 「種差別」に関しては「動物の権利」が鍵概念となる。ただし、『21世紀の道徳』でも述べられているように、「権利」という言葉について一塊のセットや束になっているというイメージは強い。

 

 「人間の権利」と「動物の権利」を混同して使用しているため、議論が混乱する場面が多くあるように私は感じる。両者の混乱を避けるため、浅野幸治は「基本的人権」に対して「基本的動物権」(※)という考えを提示したことは無理もない。

 

【参考:ベジタリアン哲学者の動物倫理入門】

 

 しかし浅野のような解決策を持ち出さずとも、「差別」と「区別」を分類することで「種差別」や「動物の権利」という考え方をより厳密化できるだろう。

 

 クリッツァーの「差別」と「区別」という分類は、結果的に「動物倫理学」という倫理学的分野の進展にもつながる。

 

 また法律的には未だ解決できていない部分もあるが、クリッツァーの議論を応用すれば、われわれ人間が持つと考えられる「権利」をそれぞれの能力に応じて、人間以外の他の動物にも範囲を拡大させることで「動物の権利」を保障することも可能だろう。

 

 「動物倫理学」を学習する上で、「種差別」という考えは避けて通れない。「種差別」をキーワードとして「動物倫理学」を理解する上で、クリッツァーの小論から学問的にも実践的にも広がりを私は見た。

 

 今後も、「動物倫理学」に関して実践を意識しながら理論的見地を深めていきたい。【終わり】

 

(※)浅野の言う「基本的動物権」とは①生命権②身体の安全保障③行動の自由権である。(浅野,2021,15 参照)