ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【第3回】ボランティア活動の倫理学 |「定言命法」から考えるボランティア活動

 

 前回の記事で、次の2点を確認した。

 

・ボランティア活動は「他人に対する不完全義務」である。

・ボランティア活動は「活動の余地」を持つ。

 

【前回の記事】 

chine-mori.hatenablog.jp

 

 【第3回】では、ボランティア活動をカント「定言命法」の観点から考察する。

 

 「定言命法(※1)とボランティア活動との関連性について考えるならば、ボランティア活動を単に「やっても、やらなくてよい」という個人の自発性に純粋に任せた活動ではなく、ボランティア活動は「するべき」であると同時に「やりたい」という活動になると理解できる。

 

 この点について、カント道徳哲学の鍵概念となる「定言命法」とボランティア活動との関連性から考察する。

 

[内容]

【第1回】ボランティア活動の定義およびその特徴

【第2回】「他人に対する不完全義務」とボランティア活動

【第3回】「定言命法」から考えるボランティア活動

 

■「定言命法」から考えるボランティア活動

 

 「定言命法」とは、「汝の格率が普遍的法則となることを、その格率を通じて、汝が同時に意欲することができるような、そうした格率に従ってのみ行為せよ」(Ⅳ,421)という道徳法則である。

 

 「定言命法」は、少なくとも自分ひとりには当てはまる規則である「格率」が普遍的な法則として同時に意欲することができる、そういう「格率」にだけ従って行為せよ、と命じる道徳法則である。

 

 「定言命法」では、「格率」が自己矛盾を犯さないかどうかがポイントになる。この特徴を、筆者は「定言命法」の「無矛盾性」と呼んでいる。

 

 『道徳形而上学の基礎づけ』(以下『基礎づけ』と略記)第2章で、カントは以下のように述べる。

 

行為を法則から導き出すためには理性が要求されるから、意志とは実践理性にほかならない。理性が意志を決定的に規定する場合は、そうした存在者の行為は、客観的に必然的に認められるとともに、主観的にも必然的である。(Ⅳ,412)

 

 『基礎づけ』第2章の箇所から考えて、道徳的意志決定を行う場合、われわれは客観的にも主観的にも必然的である「格率」を選択する。われわれが道徳的に普遍化できる「格率」は、客観的にも主観的にも必然性を持たなければならない。

 

 さて近藤も、「定言命法」を基にボランティアについて検討を行っている。「べし」と「やりたい」を主とする自発性に、近藤はボランティアを区別している。(※2)

 

 近藤によれば、ボランティアを行う者は、自分のエゴを抑えて自分が引き受けなければならないと決意する。周囲を眺めて救済の強い要請を感じ、自分が「やるべき」だとして自己犠牲を決意する。自己犠牲を感じるものとしては、「べし」としての自発性は自己強制の苦痛が伴う社会的理性の自発性になる。

 

 一方、自分の生きがいが見出だされ充実感を抱くことができるボランティアの場合、自ら「やりたい」ものとなる。理性だけでなく自分の欲求も、そのボランティアには積極的である。お祭りやイベントのボランティアなどが、この感性の自発性を負う。

 

 この2つの自発性はひとつのボランティア活動の中で混在する。「やりたい」と思って始めても、いざ手をつけてみると困難が待ち受ける。

 

 それを貫徹し活動を持続させることは、最初の「やりたい」気持ちだけでは無理が生じる場合もある。ここで、理性的な「べし」の自発性がその後を担っていかなくてはならない。

 

 継続していくと、新たな喜びも出てきて「やりたい」という意欲も回復する。最初は義務感から行なっているようなものであっても、慣れると興味が湧き感性の自発性を促すこともある。

 

 このように交錯しながら、両者がひとつのボランティア活動を成就していく。

 

 以上、近藤のボランティア活動への理解は「定言命法」に基づいて考えられていると読み解くことも可能だろう。ただし「定言命法」の「無矛盾性」への解釈から考えて、近藤のボランティア活動への理解は今一歩である。

 

 つまり、「べし」と「やりたい」という自発性はボランティア活動の中で「混在」ではなく「一体化」していると考えた方が、よりカント的である。

 

 「格率」は、客観的にも主観的にも必然性を持たなければならなかった。そうであるならば、「ボランティア活動をすべし」という「格率」は「べし」であると同時に「やりたい」と考えなければならない。

 

 このように考えるのであれば、ボランティア活動は単に「やっても、やらなくてよい」という個人の自発性に純粋に任せた活動ではなくなる。むしろ、ボランティア活動は「するべき」であると同時に「やりたい」という活動であると、カントは判断するはずである。

 

 以上、「定言命法」と近藤の議論を基にボランティア活動について考察してきた。

 

 自分たちの住む地域や誰かのために役立ちたいという想いは、少なからず誰にでもあるだろう。もしそうであるならば、少しでも誰かに貢献するため、仕事以外で何らかの活動を行うことが道徳的人間の理想的あり方ではないだろうか。【終わり】

 

(※1)「定言命法」について他にも詳しくは以下の記事を参照。

chine-mori.hatenablog.jp

(※2) 近藤良樹「自発性としてのボランティア」(『ボランティアの哲学的分析(論文集)』所収)

file:///C:/Users/81909/Downloads/Volunteer_kondo_yoshiki.pdf