ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【第2回】「趣味判断」と「共通感官」ーカント「不完全義務」を視野に入れてー|【カント道徳哲学】

 

 前回の記事でも述べたように、「趣味判断」をあるものを「美しい」と判定する判断のことである、とカントは定義した。「趣味判断」は主観的な判断である一方で、「趣味判断」はあらゆる主観に普遍的妥当性を要求するという特徴を持つことを前回の記事で述べた。

 

【参考:前回の記事】

chine-mori.hatenablog.jp

 その「趣味判断」の根拠として、カントは「共通感官」(sensus communis)という概念を挙げる。「共通感官」は、カント道徳哲学の中で特別な意味を持つ。この概念は『判断力批判』で展開されるが、カント道徳哲学を理解する上で重要な鍵となる。本記事の内容は以下の通りである。

 

[内容]

【第1回】「趣味判断」の本質と道徳哲学への示唆

【第2回】「共通感官」から見る倫理思想の展開

【第2回】まとめー「不完全義務」への射程ー

 

■「共通感官」から見る倫理思想の展開

 カントは『判断力批判』の中で、「美感的判断」(ästhetische Urteil)の普遍性を説明するために「共通感官」という概念を導入する。これは単なる主観的な感覚ではなく、普遍的に有効な判断を形成するための原理である。この考え方は、「道徳法則」(moralisches Gesetz)とも深く結び付く。

 

 なぜカントはこの概念を重視したのか。それは、認識や判断の普遍的伝達可能性(universelle Mitteilbarkeit)を説明するためであった。彼によれば、われわれの認識や判断が互いに伝達可能であるのは、「共通感官」という普遍的な主観的条件を共有しているからである。これは、道徳法則の普遍性を考える上でも重要な示唆を与える。

 

 「共通感官」の分析の中で、3つの思考の「格率」(Maxime)をカントは提示する。この3つの「格率」は、カント道徳哲学での「実践的判断力」(praktische Urteilskraft)の育成にも直結する重要な原則である。以下、3つの「格率」をまとめてみる(注1)

 

第1の格率:自律的思考の原則
「自分で考えること」という第1の格率は、カントの道徳哲学の核心である「自律」(Autonomie)の概念と直接結びつく。これは単なる独立心の表明ではなく、道徳的判断における理性の自律を意味する。偏見や他律(Heteronomie)から解放された理性こそが、真の道徳的判断を可能にする。

 

第2の格率:普遍的視点の獲得
「他者の立場に立って考えること」という第2の格率は、カントの「定言命法」(kategorischer Imperativ)、特に「人間性の目的化」の要請と密接に関連する。この能力は、自らの「格率」を普遍的法則として考えることを可能にする。

 

第3の格率:実践理性の一貫性
「首尾一貫して考えること」という最も困難とされる第3の格率は、道徳法則の基本的性質を表現している。道徳法則は矛盾なく普遍化可能でなければならないというカントの主張は、まさにこの一貫性の要求に基づいている。

 

 このように、カントの「共通感官」論における3つの「格率」は、道徳的判断力の育成に不可欠な原則として提示した。

 

 第1の「自分で考えること」は理性の「自律」(Autonomie)を、第2の「他者の立場に立って考えること」は「定言命法」(kategorischer Imperativ)での普遍化可能性の視点を、そして第3の「首尾一貫して考えること」は実践理性の体系性を示す。

 これらの格率は、それぞれ「偏見からの解放」、「人間性の目的化」、道徳法則の「普遍化可能性」というカント道徳哲学の核心的課題と結び付く。

 

■まとめー「不完全義務」への射程ー

「共通感官」を通じてカント道徳哲学を見直すとき、それは単なる美的判断の理論ではなく、「不完全義務」(unvollkommene Pflichten)と深く結び付いた思想的基盤として浮かび上がってくる。

 

 『道徳形而上学の基礎づけ』の中で、「義務」(Pflicht)を「完全義務」(vollkommene Pflichten)と「不完全義務」にカントは区別した(注2)。また「不完全義務」を、「自己の完全性」(eigene Vollkommenheit)の促進と「他人の幸福」(fremde Glückseligkeit)への貢献という、積極的な道徳的努力を要求する義務である、と『道徳形而上学』の中でカントは述べている(注3)。

 

 この「不完全義務」の中で、「共通感官」の3つの「格率」はカント道徳哲学での決定的な役割を果たす。

 

 第1に「自律的思考の原則」は、「自己の完全性の促進」に不可欠である。自らの理性を用いて思考し判断する能力の育成は、道徳的主体としての完全性を高めることに直結する。

 

 第2に「他者の立場に立って考える」能力は、「他者の幸福」への貢献の前提となる。なぜなら、「他者の幸福」を促進するためには、その他者の立場や状況を適切に理解する必要があるためである。

 

 第3に「首尾一貫した思考」は、これらの義務を体系的かつ持続的に遂行するための基礎となる。

 

 このように、「共通感官」はカント道徳哲学の中で特に「不完全義務」の遂行を導く実践的原理として理解できる。それは単に美的判断の普遍性を保証するだけでなく、道徳的判断と行為の基盤として機能する。

 

 以上、カント道徳哲学を研究する者にとって、「共通感官」と「不完全義務」の関係の考察は「実践理性」(praktische Vernunft)の働きをより具体的に理解する重要な手がかりとなる。【終わり】

 

(注1)Ⅴ,294ー295 参照。

(注2)Ⅳ,421ー423 参照。

(注3)Ⅵ,385ー388 参照。

 

【参考文献】

Kant.I,1785:Grundelung der Metaphysik der Sitten (邦題『道徳形而上学の基礎づけ』、御子柴善之訳、人文書院、2021年。)

__,1797:Die Metaphysik der Sitten(邦題『人倫の形而上学』、カント全集第11巻所収、高坂・金子編、理想社、1975年。)