前回の記事では、『教育学』に示されたカントの教育理念が、現代の教育指針の中に脈々と生き続けていることを明らかにした。その普遍的な意義を改めて認識することは、教育の本質を問い直す上で重要な示唆を与えてくれることを提示した。
【参考:過去記事】
今回は、カントの道徳教育論が、純粋実践理性の働きに基づいた自律的な道徳性の育成という理念を示しつつ、その具体的な実践方法も提示していることを明らかにしていきたい。この点に関して、『実践理性批判』や『人倫の形而上学』を基に浮き彫りにしていく。内容は以下の通りである。
[内容]
【第1回】教育されるべき存在としての人間 ―カント『教育学』から現代の学習指導要領への展開―
【第2回】道徳的判断力の開発 ―『実践理性批判』から現代の教育実践へ―
【第3回】 『啓蒙とは何か』での「理性の公的使用」の革新性
【第4回】終わりにーカント道徳哲学と『学習指導要領』の親和性ー
■道徳的判断力の開発 ―『実践理性批判』から現代の教育実践へ―
カントの『実践理性批判』における道徳教育論の価値は、第2部「純粋実践理性批判の方法論」に表れている。カントはここで、単なる教条的な道徳教育を超えて、人間理性の本質的性向に基づいた教育方法論を展開する。その核心は「提出された実践的問題に極めて緻密な検討すら好んで加える」(Ⅴ,176)という人間理性固有の傾向性を活用することにある。
この方法の革新性は、道徳教育を外的強制ではなく、理性の自発的活動として構想した点にある。カントは、教え子が自らの道徳的判定力を活性化し、行為の道徳的価値の濃淡を識別できるようになることを目指した。注目すべき点なのは、道徳教育の本質を「善い振る舞いを純粋さの中で知りそれを賛成する」(Ⅴ,177)と同時に、「純粋さから少し外れたことは痛恨と軽蔑をもって見る反復練習」(ibid.)することに見出した点である。この箇所でカントが言いたいことは、次の2点である。
1つ目は、具体的事例に基づいて、道徳的判断力を育成することである。道徳教育は場合によって、抽象的な授業に終始しがちである。例えば、「他人を大切にすること」について具体的な場面を設定し、その中で道徳について教師は生徒に伝えなければならない。
2つ目は具体的事例について生徒間で善悪の評価を行うことである。道徳的に善い行為について賛成する一方、道徳的行為から外れた事例には、痛恨や軽蔑の気持ちを持たせる。
ここで注意すべき点は、人間の感情に訴えることや教師の高踏的で驕慢な不当な要求によって、子どもに道徳的効果を与えてはならないことである。道徳法則に基づいた判断力を育成するため、教師は権威的であってはならない。
この考えは『人倫の形而上学』でさらに深化され、ソクラテス的「問答法」との関連で論じられる。教師は「生徒の思想の産婆」として、生徒の内なる道徳的概念への素質を育成する役割を担う。その実践例として示されている教師と生徒の対話(注1)は、抽象的な道徳教育ではなく、具体的な思考過程を通じた道徳性の開発を目指すものである。
このカントの構想は、現代の教育実践とも深い関連を持つ。平成30年度告示『高等学校学習指導要領解説 公民編』が提唱する「思考実験」の活用(注2)は、カントが示した具体的事例に基づく道徳的判断力の育成という方向性と響き合う。「トロッコ問題」や「ハインツのジレンマ」といった「モラル・ジレンマ」の教育的活用は、まさにカントが構想した道徳教育の現代的展開と見ることができる。
ここで重要なのは、カントの道徳教育論が単なる「教え込み」(inculcation)を超えて、生徒の自律的な道徳的判断力の育成を目指している点である。これは現代の道徳教育が直面する「隠れたカリキュラム」や形式的な「よい子」の演技という問題への本質的な解決の示唆を含んでいる。(注3)
このように、カントの道徳教育論は、純粋実践理性の働きに基づいた自律的な道徳性の育成という理念を示しつつ、その具体的な実践方法をも提示している。それは、現代の道徳教育のあり方を考える上でも、なお重要な理論的・実践的示唆を与え続けている。【続く】
(注1) Ⅵ,480参照。
(注2) 例えば、文部科学省,2019参照。
(注3) 例えば、徳永 正直,2017参照。
【参考文献】
思考実験に関しては、以下の書籍を参考。
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