前回の記事で、カントの道徳教育論は、純粋実践理性の働きに基づいた自律的な道徳性の育成という理念を示しつつ、その具体的な実践方法も提示していることを明らかにした。
それは、現代の道徳教育のあり方を考える上でも、なお重要な理論的・実践的示唆を与え続けている。
【参考:過去記事】
今回は『啓蒙とは何か』をテキストに「理性の公的使用」という概念は、現代の教育が直面する課題に重要な示唆を与えていることを明らかにしていく。内容は以下の通りである。
[内容]
【第1回】教育されるべき存在としての人間 ―カント『教育学』から現代の学習指導要領への展開―
【第2回】道徳的判断力の開発 ―『実践理性批判』から現代の教育実践へ―
【第3回】 『啓蒙とは何か』での「理性の公的使用」の革新性
【第4回】終わりにーカント道徳哲学と新学習指導要領の親和性ー
■『啓蒙とは何か』での「理性の公的使用」の革新性
カントの『啓蒙とは何か』は、「主体的・対話的で深い学び」の本質を照らし出す古典的著作であると捉えることができる。その冒頭で、カントは「啓蒙」()について次のように述べる。
啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気も持てないからだ。だから人間はずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。(Ⅷ,35)
この洞察は、平成30年度告示『学習指導要領』が掲げる「主体的・対話的で深い学び」の理念と深く共鳴する。
『学習指導要領』が目指す「人間としての在り方生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」という目標は、カントの啓蒙概念の現代的展開として理解できる。
特に注目すべき点は、カントが提示する「理性の公的使用」(öffentliche Nutzung der Vernunft)という概念である。これは「すべての公衆の前で、みずからの理性を行使する」(Ⅷ,37)ことを意味する。この考えは、『学習指導要領』が重視する「主体的・対話的で深い学び」の哲学的基礎として捉えることができるだろう。
具体的に以下の3つの観点から、カントの「理性の公的使用」と現代の教育目標は結び付く。
①主体的な思考の育成:
カントが言う「自分の理性を使う勇気」は、『学習指導要領』が目指す「主体的な学び」の本質を言い当てている。他者の判断に依存せず、自ら考え判断する力の育成は、現代の教育の中でも中心的課題である。
②対話を通じた相互啓発:
「理性の公的使用」が想定する公共的な対話は、『学習指導要領』が重視する「対話的な学び」の原型として理解できる。生徒同士が意見を交換し、互いの考えを深めていく過程は、まさにカントが構想した啓蒙の実践である。
③道徳性の涵養:
カントの啓蒙思想が目指す自律的な人格の形成は、『学習指導要領』が掲げる「道徳性の養成」と密接に関連する。他者と共によりよく生きるための判断力の育成は、「理性の公的使用」を通じて実現される。
このように、カントの啓蒙思想、特に「理性の公的使用」という概念は、現代の教育が直面する課題に重要な示唆を与える。
それは単に個人の思考力を育成するだけでなく、対話を通じた相互理解と道徳性の涵養という、より包括的な教育目標の達成に寄与するものである。【続く】
【参考文献】

