ネコと倫理学

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【カント道徳哲学】「趣味判断」の射程と可能性 ー『判断力批判』が開く道徳哲学の新展開ー

 

 

 カント哲学の中で、『判断力批判』は長らく『純粋理性批判』と『実践理性批判』の「架け橋」として解釈されてきた。一方で、近年の研究動向は、『判断力批判』がより積極的かつ独自の哲学的貢献を果たしていることを明らかにしている。

 

  本記事では、この『判断力批判』の核心概念である「趣味判断」(Geschmacksurteil)に着目し、この概念がカント道徳哲学での「不完全義務」(unvollkommene Pflicht)の基礎づけに新たな視座を提供する可能性を探究する。

 

 カントは『道徳形而上学』の中で、「不完全義務」が最も道徳的な義務であると述べながらも、その根拠づけについては十分な説明を行っていない。

 

  しかし、『判断力批判』の中で展開される主観の普遍妥当性の思想は、この「不完全義務」の理論的根拠を提供する可能性を秘めている。つまり、美的判断の構造が道徳的判断の「不完全」でありながら「普遍的」であるという特殊な性格を解明する鍵となり得る。

 

 本記事では、まず「趣味判断」の特質を精査し、次にこの判断が前提とする「共通感官」(sensus communis)の構造を分析する。そして最終的に、これらの考察が「不完全義務」の解明にどのように寄与しうるかを展望する。

 

 この試みは、カント哲学での美学と道徳哲学の交差点を明らかにし、カント実践哲学の新たな可能性を切り開くことを目指すものである。内容は以下の通りである。

 

[内容]

■「趣味判断」の特異性

■「共通感官」の意義と構造

■結論と展望ー「不完全義務」への新たな接近ー

 

■「趣味判断」の特異性

 「趣味判断」とは、対象を「美しい」と判定する判断であり、「美感的判断」(ästhetisches Urteil)とも呼ばれる。この判断は、カントの批判哲学体系において極めて特異な位置を占めている。その特異性は主に2つの特徴に現れる。

 

 第1に、「趣味判断」は根本的に「無関心性」(Interesselosigkeit)を特徴とする。これは単なる無関心や冷淡さを意味するのではなく、認識的関心や実践的関心から解放された、対象の純粋な観照を可能にする態度である。カントによれば、快適なものや善いものに対する満足は常に関心と結び付いているが、美への満足は関心を前提としない。この点で「趣味判断」は、傾向性や道徳的関心から自由な、純粋に美的な判断である。

 

 例えば、飢えた人が食物を「美味しい」と判断する場合、この判断は彼の生理的欲求と不可分である。同様に、ある行為を「善い」と判断する場合、その判断は道徳的関心と結び付いている。しかし、バッハの「フーガ」やモネの「睡蓮」を「美しい」と判断する場合、その判断は対象の存在に対する関心から独立している。このように、「趣味判断」は対象の純粋な形式的性質に向けられた、無関心な満足に基づく。

 

 第2に、「趣味判断」は「主観的普遍性」(subjektive Allgemeinheit)を要求する。これは一見矛盾した概念に思われるかもしれないが、カントの美学理論の核心をなす。「趣味判断」は主観的感情に基づきながらも、あらゆる判断主体に普遍的妥当性を要求する。

 

 カントは巧みな例で、美的判断と快適性の判断の違いを説明する。「このワインは旨い」という判断は、それを発する者の個人的嗜好を表現するに過ぎず、他者からの賛同を要求しない。

 

 しかし「ノイシュバンシュタイン城は美しい」という判断は、単なる個人的見解の表明ではなく、理性的存在者すべてにとって妥当することを暗黙のうちに要求する。「ノイシュバンシュタイン城は私にとって美しい」という言い方は、美的判断の本質を誤解している。なぜなら、美の判断は常に普遍的な賛同を期待するからである。

 

 この主観的普遍性こそが、「趣味判断」を単なる感覚的判断から区別する決定的特徴である。では、この普遍性はいかにして可能なのか。カントはその根拠を「共通感官」(sensus communis)に求める。

 

■「共通感官」の意義と構造

 「共通感官」は、「趣味判断」の普遍的妥当性を担保する主観的原理である。カントはこの概念を単なる常識や一般的感覚としてではなく、人間の認識能力の根本的調和として捉える。「共通感官」は、われわれの判断が主観的でありながらも普遍的に伝達可能であることを可能にする条件である。

 

 カントによれば、あらゆる認識は普遍的に伝達可能でなければならない。そして認識が伝達可能であるためには、その認識に伴う心の状態も普遍的に伝達可能でなければならない。

 

 認識の普遍的伝達可能性は、個々の主観の認識能力が調和していることを前提とする。この調和は感情によって経験され、この感情の普遍的伝達可能性は「共通感官」を前提とする。

 

 この議論は一見循環論法にみえるかもしれないが、カントの意図は、われわれが実際に普遍的な認識や判断を行っているという事実から出発し、その可能性の条件として「共通感官」を導出することにある。「共通感官」は、われわれの認識や判断の普遍的伝達可能性を説明するための超越論的前提である。

 

 カントは「共通感官」の内実を明らかにするために、3つの「思考の格率」(Maximen des Denkens)を提示する。まとめると次の3つである。

 

第1の格率:自分自身で考えること

第2の格率:他者の立場に立って考えること

第3の格率:常に自己矛盾なく考えること

 

 第1の格率は「啓蒙の格率」とも呼ばれ、あらゆる偏見、特に「迷信」から自由になることを意味する。この「格率」(Maxime)は理性の自律を表現し、カントの啓蒙思想の核心をなす。

 

 第2の格率は「拡張された思考方法の格率」と呼ばれ、自己の主観的制約を超えて、他者の視点から物事を考察する能力を表している。この「格率」は、判断に関して真の普遍性を可能にする条件である。

 

 第3の格率は「首尾一貫した思考の格率」であり、最も達成が困難な「格率」である。カントによれば、この「格率」は前二者の「格率」を前提とし、それらを繰り返し実践することによってのみ獲得され得る。

 

 これら3つの格率は、単なる認識の規則にとどまらず、「共通感官」の具体的な働きを示すものである。特に第2の格率は、他者の立場に自己を置く能力、すなわち「反省的判断力」の本質を表している。

 

 「共通感官」を基礎とする「趣味判断」は、このように単なる美的判断にとどまらず、われわれの思考の根本的あり方を示す範例となる。それは、主観的でありながら普遍性を志向する判断のモデルとして、カントの道徳哲学に新たな視座を提供する。

 

■結論と展望ー「不完全義務」への新たな接近ー

 本記事では、『判断力批判』での「趣味判断」と「共通感官」の分析を通じて、カント道徳哲学での「不完全義務」の基礎づけへの新たな道筋を探究した。最後に、今後の方向性を展望したい。

 

 「趣味判断」と道徳的判断の構造的類似性は、カント道徳哲学の理解を深める重要な手がかりを提供する。「趣味判断」が無関心的でありながら普遍妥当性を要求するように、「不完全義務」も具体的行為の規定を含まないという意味で「不完全」でありながら、普遍的な道徳的要求としてわれわれに迫ってくる。

 

 この類似性は偶然のものではなく、両者が「共通感官」という同一の根源から発しているためではないだろうか。

 

 宇都宮芳明が指摘するように、『判断力批判』の最終的な課題は、認識能力・感情・欲求能力という人間の3つの「心の能力」を統一的に理解することにある。この視点から見れば、美的判断と道徳的判断の関係を解明することは、カント哲学の体系的理解にとって不可欠である。

 

 「不完全義務」概念の解明のためには、『道徳形而上学の基礎づけ』や『実践理性批判』といった狭義の倫理学的著作に加えて、『判断力批判』や『美と崇高の感情に関する観察』、さらには『人間学』といった広範な著作を検討する必要があるだろう。

 

 特に注目すべきは、「共通感官」が提示する3つの格率が、「不完全義務」の実践にとって本質的な意義を持つ可能性である。①自分自身で考えること、②他者の立場に立って考えることそして③首尾一貫して考えることという3つの格率は、道徳的自律の具体的実践のための指針として読み解くことができる。特に第2の格率は、他者への配慮という「不完全義務」の核心と深く関わっている。

 

 このように、『判断力批判』の美学的分析は、カント道徳哲学の未開拓の領域を照らし出す光となり得る。「趣味判断」の構造分析は、「不完全義務」という道徳哲学上の難問に新たな視座を提供し、カント哲学の中での美と道徳の内的連関を明らかにする可能性を秘めている。

 

 後の研究では、このような視点から『判断力批判』を読み直し、カント道徳哲学での「不完全義務」の位置づけを再検討していくことが求められる。それは単なるカント解釈にとどまらず、現代の倫理的問題へのアプローチにも新たな示唆を与えるものとなるだろう。【終わり】

 

【参考文献】

甲田純生,1993:構想力と美-カント美学の射程-、大阪大学文学部編、『待兼山論集 第27号』所収、大阪大学文学部.

 

志水紀代子,1989:美学的判断力と目的論的判断力-自由実現をめぐって、浜田義文編、『カント読本』所収、法政大学出版局

 

須田 朗,1989:構想力と自由-カントの『判断力批判」(「美の分析論」)への一考察、『紀要 哲学科第34号』所収、中央大学文学部.

高畑祐人,2000;「情感的判断力」の問題構成-『判断力批判』の環境倫理学的考察の可能性に向けて-、『名古屋大学哲学論集』所収、名古屋大学哲学会.

 

円谷祐二,1989:美の両義性と道徳、浜田義文編、『カント読本』所収、法政大学出版会.

牧野英二,1989;カントの共通感覚論-美学と政治哲学との間-、浜田義文編、『カント読本』所収、法政大学出版局

 

松井邦子,1994:カント『判断力批判』における共通感覚の問題-理想的共同体を射程において-、『同志社哲學年報』所収、同志社大学

 

―,1998:『判断力批判』における美感的理念と共通感官-道徳的対話原理の可能性を求めて-、関西倫理学会編、『倫理学研究』所収、関西倫理学会.