ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【第6巻】正しさって、誰のため?-思考実験で考える、SNS時代での私たちの選択-【Kindle出版】

 

 

 正しいことを言っただけなのに、なんで叩かれるの?-X(旧Twitter)やInstagramを見ていると、こんな言葉をよく見かけませんか。私たちは、これまでにないくらい「正しさ」について敏感になっている気がします。ちょっとした投稿が一瞬で世界中に広まり、色々な人が様々な意見を言ってくる。そんな時代を生きています。

 

 しかし、ここで困ったことが起きています。誰かを守ろうとして「それは間違ってる」と言ったつもりが、別の誰かをひどく傷つけてしまう。「みんながやってるから自分もやった」という理由でリポストしたら、それが誰かを追い詰める結果になってしまった。こんなことが毎日のように起こっています。

 

 例えば、クラスで誰かがいじめられているのを見て「やめなよ」と声をあげるのは正しいことです。でも、その時にSNSで「○○がいじめをしてる」と実名で投稿したらどうでしょうか。いじめを止めるという目的は正しくても、やり方によっては新たな問題を生んでしまうかもしれません。

 

 では、そもそも「正しさ」って何なのでしょうか。誰が決めるものなのでしょうか。そして、それは誰のためのものなのでしょうか。これらの疑問について考えるために書かれたのが『思考実験から始める高校倫理⑥』という本です。難しい哲学の話を身近な例で説明しながら、「正しさとは何か」について一緒に考えるために書きました。

 

 大切なのは、「これが正解」という答えを覚えることではありません。むしろ、「うーん、どうだろう」と考え続けることです。なぜなら、正しさについての答えは、時代や状況によって変わることがあるからです。昔は当たり前だったことが今は問題視されたり、今正しいと思われていることが将来見直されたりするかもしれません。だからこそ、自分の頭で考える習慣を身につけることが大切なのです。内容は以下の通りです。

 

[内容]

■「もしも」で考える哲学の練習

■「役に立つ」ことと「正しい」ことは同じことなのか

■違う意見の人とどうやって話し合うのか

■「考え続けること」が1番大切

 

■「もしも」で考える哲学の練習

 「もしも○○だったら、あなたはどうする?」こんな質問から始まる「思考実験」というものがあります。これは哲学者たちが長い間使ってきた考える方法です。現実の世界では、私たちの判断は色々なことに影響されます。友だちの目が気になったり、損得を考えたり、感情的になったり。しかし思考実験では、そのような余計なことを一旦置いといて、純粋に「どうするのがよいか」を考えることができます。

 

 例えば、こんな思考実験があります。あなたが学校の新しいルールを作ることになったとします。でも条件があって、あなたは自分がどんな家庭に生まれたか、運動が得意か苦手か、お金持ちか貧しいか、男子か女子か、何も知らない状態でルールを決めなければいけません。この状況で、あなたはどんなルールを作りますか。

 

 これは「無知のヴェール」という思考実験です。考えた人はジョン・ロールズというアメリカの哲学者です。本書では、生徒会のメンバーが制服のルールについて話し合う場面で、この方法を使います。

 

 「制服があると、服装でお金の差が分からなくていい」という意見もあれば、「服装は自分を表現する大切な方法だ」という意見もあります。宗教的な理由で特別な服装が必要な人もいるし、性別に関係なく好きな服を着たい人もいます。みんな、それぞれの立場で「正しい」理由を持っています。

 

 しかし、自分がどの立場になるか分からないとしたら。お金に困る家庭に生まれるかもしれないし、人と違う価値観を持つかもしれない。そう考えると、「誰にとってもできるだけ不利にならない」ルールを作ろうと思うはずです。これは、怒りや感情だけでなく、冷静な配慮に基づいた正しさを考える練習です。

 

 もうひとつ大切な思考実験が、「悪の凡庸さ」という考え方です。これはハンナ・アーレントというドイツの哲学者が考えたものです。第二次世界大戦中にひどいことをしたナチスの幹部を調べてみたら、その人は特別に悪い人ではなく、ただ「命令されたからやっただけ」という普通の人だったという話です。

 

 この事例は、今のネット炎上と似ていませんか。炎上している投稿を見つけて、深く考えずに「みんなが批判してるから自分も」とリポストしてしまう。1人ひとりに悪意はないけれど、結果として誰かを深く傷つけてしまう。「みんながやってるから」、「当たり前のことを言っただけ」という理由で考えることを止めてしまうのは危険なのです。

 

■「役に立つ」ことと「正しい」ことは同じことなのか

 「結果がよければ、それが正しい」という考え方があります。これを「プラグマティズム」(実用主義)と呼びます。例えば、勉強法を選ぶとき、理屈は分からないけど実際に成績が上がる方法Aと、理論的には正しそうだけど効果がない方法B、どちらを選びますか。プラグマティズムでは、「効果があるAの方が正しい」と考えます。

 

 この考え方はとても分かりやすくて実用的です。「とりあえずやってみて、うまくいくかどうかで判断しよう」というシンプルな基準です。部活でも勉強でも、理屈をこねるより実際に試してみる方が早いことがよくありますよね。しかし「効果がある」ことと「正しい」ことは、本当に同じでしょうか。

 

 例えば、テストでカンニングをすれば点数は上がるかもしれません。しかし、それが「正しい」とは思えません。歴史を見ても、「効率的だから」という理由で正当化された差別や正義に反する判断はたくさんありました。奴隷制度は経済的には効率的でしたが、明らかに間違っていました。

 

 今の時代でも同じです。AIが人事の判断をすると効率的かもしれませんが、もしそのAIが性別や人種によって偏った判断をするようにプログラムされていたらどうでしょうか。短期的には会社の利益が上がるかもしれませんが、長期的には社会全体にとってよくない結果をもたらすかもしれません。

 

 では、プラグマティズムは悪い考え方なのでしょうか。そうではありません。問題は、「効果」を測る範囲が狭すぎることです。目の前の結果だけでなく、もっと長い目で見た結果や、もっと多くの人への影響も考える必要があります。

 

 そして何より大切なのは、「その結果に責任を持てるか」ということです。便利だから、効率的だから、という理由で何かを選ぶときは、それが作り出す社会が本当に自分たちの望むものなのかを考えてみることが大切です。「役に立つ」からといって、何でも正しいわけではありません。

 

■違う意見の人とどうやって話し合うのか

 SNSを見ていると、違う意見の人同士が激しく言い合いをしている場面をよく見かけます。お互いに「相手が間違ってる」、「自分が正しい」と主張して、最後は相手を「論破」しようとする。しかし、こういう方法で本当に問題は解決するのでしょうか。

 

 実は、もっとよい方法があります。それが「対話」です。「論破」は相手を倒すことが目的ですが、「対話」はお互いを理解して、一緒に解決策を見つけることが目的です。

 

 対話をするときに大切なのは、「正しさにはいろんな形がある」ということを認めることです。これは「何でも正しい」という意味ではありません。みんなそれぞれ違う経験をして、違う環境で育ってきたから、「正しい」と思うことが違うのは当然だ、ということです。

 

 例えば、環境問題について考えてみましょう。「地球を守るために経済発展を抑えるべき」という人と、「貧困をなくすためには経済発展が必要」という人がいるとします。どちらも大切なことを言っています。最初から「どちらが正しいか」を決めつけるのではなく、「なぜそう思うのか」をお互いに理解し合うことが大切です。

 

 そうすると、実は両方とも「みんなが幸せに暮らせる社会を作りたい」という同じ願いを持っていることが分かるかもしれません。そうであれば、環境も守れて経済も発展できる方法を一緒に考えることができます。

 

 よい対話をするためのコツがいくつかあります。まず、感情と論理のバランスを取ることです。冷たい議論だけでは人の心は動きませんが、感情的になりすぎても建設的な話し合いはできません。自分の気持ちを大切にしながらも、相手の気持ちも理解しようとする姿勢が大切です。

 

 同時に、「完璧な正しさ」にこだわりすぎないことも重要です。特にSNSでは、自分の発言がずっと残ってしまうので、間違いを言うのが怖くなってしまいがちです。しかし、間違いを恐れて何も言わないよりも、「今はこう思うけど、もしかしたら間違ってるかも」という謙虚さを持って話し合う方が、みんなにとってよい結果を生みます。

 

 間違いを犯したときには素直に認めて直す。他の人が間違ったときには責めるのではなく、一緒に正しい答えを探す。こんな姿勢があると、違う意見を持つ人とも仲よく話し合いができます。

 

■「考え続けること」が1番大切

 正しさって、誰のため?─この記事の最初に投げかけたこの質問に、完璧な答えはありません。しかし、この質問について考え続けることで、私たちは徐々に自分にとっても周りの人にとっても「よりよい」選択ができるようになります。このことが、本書が伝えたいことの核心です。

 

 今までの道徳の授業では、「嘘をついてはいけない」や「人を傷つけてはいけない」といったルールを教わってきたと思います。もちろん、これらは大切な基本です。しかし、現実はもっと複雑です。本当のことを言うことで誰かが傷ついてしまう場合はどうすればいいのか。差別をなくそうとして発言したら、かえって対立が深まってしまった場合はどうすればいいのか。

 

 こんなときに必要なのは、決まりきった答えではなく「考え続ける習慣」です。朝起きてスマホを見るときから、夜寝る前にその日を振り返るときまで、私たちの毎日は小さな選択の連続です。どの投稿にいいねを押すか、友だちの少し問題ある発言にどう反応するか。困っている人を見かけたときに声をかけるかどうか。─こういう日常の小さな選択が積み重なって、最終的にはどんな社会になるかが決まってきます。

 

 この「日常の中の倫理」を実践するために、この記事で紹介した考え方が役に立ちます。SNSで炎上している投稿を見つけたとき、すぐ反応する前にちょっと考えてみる。「もし自分がその投稿をした人だったら?」、「もし自分がその話題で傷ついている人だったら?」。このように色々な立場の人の気持ちを想像してみる。

 

 また、「みんながやってるから」という理由だけで行動する前に、1度立ち止まって考える習慣をつける。自分のその行動が、誰にどんな影響を与えるのかを想像してみる。これが「きちんと考える」ということです。

 

 しかし、完璧を目指す必要はありません。私たちはみんな、限られた時間と情報の中で判断しなければならない、不完全な人間です。時には間違いを犯すし、時には最善ではない選択をしてしまうでしょう。それは当たり前のことです。

 

 大切なのは、間違いに気づいたら反省して、次はもう少しよい判断をしようと努力することです。この「少しずつ成長していく」プロセスこそが、複雑な現代社会を生きる私たちにとって大切な姿勢です。

 

 最後に、あなたに質問です。今日1日を振り返ってみて、どんな選択をしましたか。その選択は誰のためのものでしたか。そして明日、同じような場面に出会ったとき、どんな選択をしたいですか。

 

 答えはすぐに見つからなくても大丈夫です。考え続けること自体が、既に価値ある行動です。「正しさって、誰のため?」この質問を心の片隅に置いて、明日という新しい1日を始めてみてください。きっと、今までとは少し違った見方で世界を見ることができるはずです。【終わり】