Es irrt der Mensch,solang er strebt.

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/地域猫活動/伴侶動物としてのネコとの関わり方/について記事を書いています。

【要約と注釈③】カント『たんなる理性の限界内の宗教』-第1版序文(段落7~段落9)

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

  • 作者:カント
  • 発売日: 2000/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

[内容]

第1版序文(1793年)

 ・段落7 要約と注釈

 ・段落8 要約と注釈

 ・段落9 要約と注釈

文献

 

[段落7]

要約

そのような場合、最高検閲官は哲学部ではなく神学部に属す。双方の教説すべてが相互に接近していて哲学的神学の側から越境の懸念があっても、干渉についての疑惑など容易に予防できる。(9-10)

注釈

「哲学的神学」が「聖書神学」の範囲に干渉した場合、聖職者である最高検閲官は神学部に属す。確かに「哲学的神学」と「聖書神学」の教説はお互い接近する部分もある。しかし理性の限界内で留まる「哲学的神学」は「聖書神学」へ干渉できない。それは理性の限界を超える。そのような越境の懸念があっても、その疑惑は簡単に予防できる。

 

[段落8]

要約

善なる素質も悪なる素質も備えた部分もある人間本性と宗教との関係を目立たせるため、善の原理と悪の原理との関係を、両者それぞれ別個に存在する2つの作用原因であって人間に影響を及ぼすかのように、以下の論文で紹介している。(11)

注釈

カントは「善なる素質も悪なる素質も備えた部分もある」という人間観を持つ。この人間観と宗教を際立たせるため、善悪の原理の関係をそれぞれ別個に関係する作用原因への人間の影響を以下で述べる。

 

[段落9]

要約

1枚目の全紙は私の正書法とは違う。それは写本に多くの人の手を煩わせたからである。また校正に残された時間が短かったからである。(11)

注釈

省略。

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。

【要約と注釈②】カント『たんなる理性の限界内の宗教』-第1版序文(段落4~段落6)

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

  • 作者:カント
  • 発売日: 2000/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

[内容]

第1版序文(1793年)

 ・段落4 要約と注釈

 ・段落5 要約と注釈

 ・段落6 要約と注釈

文献

 

[段落4] 

要約

 法則の聖性についてこの上ない尊敬の対象を認識するとすれば、宗教の段階になると法則を遂行する再興の原因について道徳は「崇拝」の対象を表象して厳かに現われる。限りなく崇高なものという理念を人間が自らの使用に役立てようとして手にかけると、一切が卑小になる。尊敬が自由である限りのみ崇敬できるものが強制的法律によって威信が与えられるだけの形式に従うよう強制されることになる。(Ⅵ,8)

 
注釈

「法則の聖性」について前提となるのは道徳法則への尊敬である。道徳が宗教に至るのは避けられないことから考えると、「宗教の段階」では「道徳が『崇拝」』の対象を表象して厳かに現われる」。但し「人間が自らの使用に役立てようと」自らの都合のいいように法則を使用するのであれば、「一切が卑小」になる。道徳法則への尊敬によって、「威信が与えられるだけの形式」つまり「べし」(Sollen)という義務に従うようわれわれは強制されることになる。

 

[段落5] 

要約

 「当局に従順であれ」という命令も道徳的といえば道徳的である。その遵守はあらゆる義務の遵守と同じく宗教に関係づけられる。このような従順さの模範となることは、宗教の特定の概念を論じるような論稿にふさわしい。従順さが証明されるのは法律こぞって尊敬することによってでしかない。書物を審判する神学者の魂の平安に配慮するためだけに任命されているか、諸学の平安に配慮するために任命されているかのどちらかである。あらゆる学問は侵害に対して保護されるようにと公共の施設に委ねられる。その施設の一員としての学者でもある審査官には聖職者に過ぎない審査官の越権を、後者による検閲のために諸学の領野で破壊が引き起こされないという条件に制限する義務がある。もしそれが共に聖書神学者ならば、この神学を論じるよう委託される学部の大学人である審査官の方が主任検閲官の職務にふさわしい。この規則から免れると、聖書神学者が諸学の誇りを傷つけ人間悟性の試み一切を独占してしまう。(Ⅵ,8-9)

 

注釈

 確かに「当局に従順であれ」という命令も道徳的である。「従順さ」は「尊敬すること」によってで証明できない。それは「書物を審判する神学者の魂の平安に配慮するため」に「任命されている」かまたは様々な学問の「平安に配慮するために任命されているか」のいずれかである。「公共の施設」の一員として「聖職者に過ぎない審査官の越権」を、「後者」つまり様々な学問の「平安に配慮する」ことによる「検閲のために」様々な学問分野で「破壊が引き起こされない」ように「制限する義務がある」。もしこの規制から脱すると、「聖書神学者」が様々な学問の「誇りを傷つけ人間悟性の試み一切を独占」することになる。

 

[段落6] 

要約

 諸学の領野では、聖書神学には哲学的神学というものが向き合っている。これは他学部から委託された財である。哲学的神学が単なる理性の限界に留まるならば、この神学には届く限りの範囲に広がっていくための十分な自由がなくてはならない。それが限界を踏み越えて聖書神学に干渉したことが明白ならば、主任検閲官の職務は「その学部の一員として」の聖書神学者だけに帰属する。(Ⅵ,9)

 

注釈

「哲学的神学」とは恐らく理性の限界内での「神学」を意味する。一方「聖書神学」とは理性の限界を超えた「神学」であると考えられる。「哲学的神学」が単に「理性の限界」に踏み留まるならば、この神学には可能な限りでの「範囲に広がっていくための十分な自由」が必要である。但し「哲学的神学」が「聖書神学」の範囲に干渉したならば、聖職者である主任検閲官の職務は「聖書神学」者の職務だけに属す。【続く】

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。

【要約と注釈①】カント『たんなる理性の限界内の宗教』-第1版序文(段落1~段落3)

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

  • 作者:カント
  • 発売日: 2000/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

[内容]

第1版序文(1793年)

 ・段落1 要約と注釈

 ・段落2 要約と注釈

 ・段落3 要約と注釈

 文献

 

[段落1] 

要約

 人間は自由な存在である。それゆえ人間は自己自身を理性により無制約な法則に結びつける存在者でもある。このような存在者としての人間の概念に基づく限り、道徳は人間の義務を認識するのに人間を超えた人間以外の存在者の理念を必要としない。また道徳は義務を遵守するのに法則以外の動機も必要としない。そのような要求が人間の中に見出されるとすれば、少なくともそれは人間自身の咎である。その要求は他の何ものによっても満たされない。そもそも理性の法則によって採用されるべき格率の普遍的合法則性があらゆる目的の最上の制約である。例えば法廷で証言する際、私は誠実であるべきなのかということを知るには目的など頓着する必要はない。それがどんなものなのかどうでもよい。むしろ自白が合法的に求められているのに、まだ何か目的を探さなくてはと思う人は、それだけで卑劣漢である。(Ⅵ,3)

 
注釈

 カントは、まず人間を「自由な存在」と位置づける。カントにとって、人間は法則に結びつける存在者である。ここでの法則とは、「道徳法則」だと考えられる。「道徳法則」に結びついた「自由な存在」として人間観をカントは持つので、道徳は人間の「義務」を認識するのに人間を超えた人間以外の存在者の理念、つまり「神」のような存在者を必要としない。また「理性の法則」である「道徳法則」によって採用されるべき「格率」の普遍的合法則性を最上目的として、カントは捉える。

 

[段落2]

要約

道徳は意志規定に先立たなくてはならない目的表象を必要としない。しかしそのような目的に必然的関係を持つことはあり得る。道徳にとって正しく行為するための目的は必要ではない。自由の行使一般の形式的制約を含む法則だけでその目的は十分である。しかし道徳から目的は生まれてくる。次の問いの回答がどのような結果になるかについて、理性は無関心でいることなどできない。それは「正しく行為するとして、そこから何が生じるのか。なすこと・なさざることを何に向ければよいのか。少なくとも何をそれに一致するための目的とすればよいのか」という問いである。われわれが抱く目的すべての形式的制約(義務)は同時にそれらすべての目的によって生じるもので、形式的制約と調和するものすべてを共に統合して含むものは、世界で最高善の理念に過ぎない。その可能性ために、道徳的で聖にして全能の一層高次の存在者を想定しなければならない。ただしこの理念は空虚ではない。ここで最も重要な点はこの理念の方が道徳に端を発し、それを立てることが既に人倫の原則を前提する目的であるということである。道徳にとっても万物の究極目的という概念を作れるかどうかはどうでもいいはずはない。道徳を敬う人で実践理性に導かれて世界を「創り出す」とすれば、その人は最高善という道徳的理念を伴う仕方でしか世界を選ばない。可能な最高善の実現を道徳法則が欲するので、その人もひとつの世界が現存在することを意欲する。これによってその人は義務に対して究極目的を考えたいという要求を証明している。(Ⅵ,3-5)

 
 注釈

 ここでいう「目的」とは「○○するために」という意味での目的だと考えられる。「人に親切にしよう」とか「誠実であろう」という道徳的な意志規定には前もって、例えば「人に好かれるために」とか「称賛を得るために」という目的は必要ないとカントは主張する。「自由の行使一般の形式的制約を含む法則」つまり「道徳法則」だけでその目的は十分である。但し「正しく行為するとして、そこから何が生じるのか。なすこと・なさざることを何に向ければよいのか。少なくとも何をそれに一致するための目的とすればよいのか」という問いの結果に理性は無関心でいられない。形式的制約としての「義務」はそれらすべての目的によって生じる。形式的制約と調和するものすべてを共に統合して含むものは、「最高善」の理念だけである。その可能性のために、道徳的に聖にして全能の一層高次の存在者を想定しなければならない。

 

[段落3]

要約

 道徳が宗教に至るのは避けられない。道徳は宗教により人間以外の力を持つ道徳的立法者という理念にまで拡大される。人間の究極目的であり得てあるべきものが、この道徳的立法者の意志でも、同時に究極目的である。(Ⅵ,6)

 
注釈

 カントによれば、「最高善」の理念の可能性のため道徳は宗教に至る。道徳は宗教によって人間以外の力を持つ道徳的立法者、つまり「神」という理念にまで拡大される。道徳的立法者である「神」の意志も人間も「最高善」が究極目的である。【続く】

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。

【動物倫理学】「他者への配慮」は動物への倫理的配慮の基準になり得るー『アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理』

 

 過去記事で、 動物への倫理的配慮の基準を「苦痛」だけではなく「動物の豊かな内面」という、新たな基準を提示した。

 

 この作業を通して、シンガーが言う「苦痛」という動物への倫理的配慮の基準だけでなく、それ以外の基準も設けながら、動物への倫理的配慮について見直す必要性を主張した。

 

参考:過去記事

chine-mori.hatenablog.jp

 

 今回は佐藤衆介著『アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理』を手がかりに、動物への倫理的配慮の基準としての「他者への配慮」の可能性について、倫理学というよりも動物行動学的に検討する。

 

 その際、本書で取り挙げられているウシの舐行動とJ.Maason & S.McCarthyの事例を中心に、「他者への配慮」という視点から動物への倫理的配慮の基準を探っていく。

 

■ウシの舐行動ーウシも仲間に配慮する

 ウシ集団で「仲よし関係」がどのように作られるかについて、著者は約20年研究してきた。

 

 以下、ウシの舐行動に関する著者の「他者への配慮」事例と見解を示す。

 

 「仲よし関係」の証は、近くで生活し危急の時には援助したり、食べ物を分け与えたり、世話行動をすることである。

 

 ウシの場合、「仲よし関係」の証は主に世話行動である毛繕いすなわち「舐行動」で見られる。

 

 ウシの舌は、タワシのようにざらざらして長い。その舌で、仲間の頭や尾などあらゆる部分を舐めてやる。

 

 舐められている最中、ウシは目を半開きなりウトウトしたり、心拍数が1分当たり4拍程度に低下する。

 

 このウシの舐行動の結果から、ウシは舐められることで心理的な安寧を感じている、と著者は理解する。

 

 ウシにとって、他のウシから舐められることは「喜び」という情動をもたらす。

 

 この行動は、被毛の衛生効果や「心理的安寧効果」という実利をもたらす。

 

 様々な効果の結果として、よく舐められるウシは泌乳量が多い。子ウシでは下痢も少なく体重の増加も多い。

 

 確かに行う側にとって舐行動は疲れるし、捕食獣への警戒心は落ちる。短絡的に見れば、この行為は時間の無駄である。

 

 それでも、ウシはこの行動によって仲間に配慮する。

 

 ただし、どの仲間にも均等に舐行動を施すわけではない。半兄弟以上の血縁の濃い相手や、同居期間が4ヶ月以上の相手に舐行動が多く向けられる。

 

 以上が、ウシの舐行動に関する著者の「他者への配慮」事例と見解である。

 

 われわれも家族や恋人などごく近しい間柄で、頭を撫でたり体に触れたりするなどスキンシップを図る。この行動が「他者への配慮」の表れとなる。

 

 このような「他者への配慮」による行動が倫理的出発点となるならば、それは人間以外の動物にも当てはまらなければならない。

 

■J.Maason & S.McCarthyの事例ー様々な動物が仲間に配慮する

  ウシ以外でも、様々な動物が仲間に配慮する事例がある。科学ジャーナリストのJ.Maason & S.McCarthyの事例を本書では紹介している。

 

 まとめると以下の5点である。

 

  • 死んだ子ゾウをいつまでも持ち運ぶため移動に遅れがちなアフリカ象を群れの仲間が待つ
  • アフリカスイギュウ、シマウマ、トムソンガゼルは仲間の一頭を襲ったライオンを皆で追い払う
  • ニジチュウハチという鳥を撃ち落としたとき仲間が襲ってきた
  • キツネが負傷した仲間に餌を運ぶ
  • イルカやクジラは呼吸ができない仲間の体を支えて水面に押し上げる

 

参考:ナショナル ジオグラフィック TV

www.youtube.com

 

 それ以外に、われわれも含むテナガザルやチンパンジーなど狭鼻猿類は仲間同士で餌を分け合ったり喧嘩の場面では手助けを行う。

 

 著者の見解では、仲間への配慮行動は様々な動物で普遍的に見られる。

 

 「危険な目に遭っている仲間を命がけで救助に向かう」ことや「飢えて死にそうな人を見ると食事を与える」など「困った人に手を差し伸べる」行為は、倫理的だと称賛されることは多い。

 

 先の事例のように、われわれが倫理的であると認識する行為を人間以外の動物も行うことがある。

 

 このことから、ウシ以外の様々な動物もわれわれ人間と同じ他者を配慮しながら生活を送っていると考えられる。

 

■まとめ

 以上、佐藤衆介著『アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理』を手がかりに、「他者への配慮」が動物への道徳的配慮の基準になり得るか検討してきた。

 

 シンガーは動物への道徳的配慮の基準として「苦痛」を取り挙げた。なぜなら「苦痛」は人間にも人間以外の動物にも共通する感覚だからである。

 

参考:『動物の解放』

動物の解放 改訂版

動物の解放 改訂版

 

 

 同じように考えるのであれば、「苦痛」だけでなく「他者への配慮」も動物への倫理的配慮の基準として認めなければならない。

 

 一面的な見方をするのではなく、多角的な視点で物事は捉えるべきである。これは動物倫理学でも同じことが言える。【終わり】

【ケア論】「ケアリング」と「継続性」ーノディングス『学校におけるケアの挑戦』

 

 教育が人生の幸福を目的とするならば、学校教育はその目的を実現する源である「ケアリング」を中心に再構成されるべきである。

 

 既存の学校教育に異を唱え、カリキュラムだけでなく学校組織それ自体を「ケアリング」の視点で見直すことをノディングズは本書で提言する。

 

 これが、本書の一般的見方である。今回は、ノディングスの「ケアリング」と「継続性」について考察する。

 

 彼女によれば「ケアリング」で必要なことは「継続性」である。この見解を本書から読み解いていく。

 

■本書の概要

 まず始めに本書の概要を確認する。「編者序文」によれば、ノディングスは教育の目的を次のように掲げている。

 

 教育の主な目的は道徳教育によってケアし、愛される能力ある個人の成長を育むことである。(邦頁 3要約)

 

 ここでポイントとなるのは、次の2点である。

 

  • 教育は道徳教育によってなされる。
  • 教育はケアし、愛される能力ある個人の成長を育むことである。

 

 これがノディングスの言う「ケアリング」を中心に再構成された学校教育である。

 

 この目的のため、彼女はケアの中心を以下8つに整理する。

 

  • 自己のケア
  • 親しい他者へのケア
  • 仲間や知人へのケア
  • 遠方の他者へのケア
  • 人以外の動物へのケア
  • 植物と自然環境へのケア
  • 物や道具など人が作り出した世界へのケア
  • 理念のケア

 

 本書は、上記8つのケアについて述べ、最後に学校で行える実践的な「ケアリング」を提示する。

 

■「ケアリング」と「継続性」

 ここでノディングスの「ケアリング」と「継続性」について検討する。 本書で「ケアリング」で必要なことは「継続性」であることを彼女は強調する。

 

 学校の第1の指導目的は継続性とケアリングの風土を確立し維持してくことでなければならない。教育でのケアリングは強い信頼関係を土台部分にするという意味で、一時的なケアリングの出会いと異なる。そのような関係には時間がかかり継続性が必要になる。(邦頁127要約)

 

 彼女によれば、学校の第1の指導目的は「継続性とケアリング」の風土を確立し維持していくこと」である。そのため教師と子どもたちとの強い信頼関係が土台になる。

 

 教師と子どもたちとの信頼関係を築くため、「継続性」という概念を彼女は提示する。

 

 教科指導であっても生徒指導であっても、教師と子どもたちとの強い信頼関係が土台となる。生徒との関係は一朝一夕では成立しない。教師と子どもたちと信頼関係には時間がかかり「継続性」が必要になる。

 

 一方、現実的に教師は子どもたちの行動の変容を急ぐあまり、間違った指導を行うこともある。それが体罰などによって子どもたちを追い詰めることにもなりかねない。

 

 この点を考慮するならば、ノディングスの「ケアリング」的な生徒との関わりの中で「継続性」が必要になることは理解できる。

 

 「継続性」について、彼女は次のような提案を行う。

 

 ケアがなされる共同体を築くために、生徒には学校の居場所の継続性が必要になる。生徒は2、3年以上ひとつの校舎に留まるべきである。子どもたちは建物に住み慣れ、物理的な環境に責任を持つようになり、ケアのなされる共同体の維持に参加するための時間が必要である。限られた年齢層を対象とした非常に専門的プログラムと場所の継続性のどちらか選択しなければならないとき、場所の継続性を選択するべきである。(邦頁131要約)

 

 専門的プログラムと場所の継続性のどちらか選択しなければならないとするならば、場所の継続性を選択するべきである、と彼女は主張する。

 

 確かに、何年も通い慣れた学校には愛着が涌き、その一員として誇りを持つようになる。卒業すると、学校で学んだことや思い出が糧となる生徒も出てくる。

 

 これは、学校や教師と子どもたちの継続的な関係性によって起る。

 

 さらに、「継続性」について彼女はそのための「計画」を読者に提示する。まとめると次の通りである。

 

1.目的の継続性
・第1目的はお互いのケアであることが明白であること
・生徒すべてが①人間のケアリングの不可欠な問題に取り組むこと②ケアの専門領域で特定の能力を発達させること

2.学校の居場所の継続性
・属しているという感覚を得られる必要な期間ひとつの校舎に留まるべき
・コミュニティが優先されれば、より大きな学校でもコミュニティの感情を生み出すことは可能
・子どもたちは3年以上、理想は6年間同じ場所にいるべき

3.教師と生徒の継続性
・教師は生徒と3年以上一緒に過ごすべき

4.カリキュラムの継続性
・われわれのケアを示し人間の全領域を尊重することが理念
・多様で等しく権威ある専門プログラムを提供する

 

 このように、4つの「継続性のための計画」を示し、「ケアリング」には「継続性」が大きく関わることを彼女は示した。

 

 ■まとめ

 以上、学校での「ケアリング」には「継続性」が必要であることを彼女は主張した。

 

 ノディングスの「ケアリング」という概念を学校現場に生かすことで、教師と子どもたちがお互いケアし、ケアされ愛情に満ち愛される人に成長することにつながる。

 

 学校現場では教育実践の方が重視される。しかし理論と実践は両輪でなければならない。

 

 ノディングスの「ケアリング」のような理論も現場で生かされながら、生徒のよりよき成長を学校や教師は支援できなければならない。【終わり】

【第6回】2021年の目標ー2020年を振り返りながら

本当の自由を手に入れるお金の大学

本当の自由を手に入れるお金の大学

 

 

 [今年の目標]

■質のいいブログ記事執筆

■朝活と質のいい睡眠

■『たんなる理性の限界内の宗教』読了

『学校におけるケアの挑戦』読了

日商簿記3級受験

■FP3級受験

 

 ■FP3級受験

日商簿記3級に合格後、「3級FP技能検定」を受験する。

  

 以前twitterで発信したが、今年は「マネーリテラシー」の向上に努めたい。

 

 参考:過去のtwitter

 

 「3級FP技能検定」とは、どんな試験なのか。

 

 まず、「ファイナンシャル・プランナー」(FP)について「日本FP協会」のHPを参考に見ていく。

 

参考:日本FP協会

www.jafp.or.jp

 

 人生の夢や目標を叶えるため、総合的な資金計画を立て経済的な側面から実現に導く方法を

「ファイナンシャル・プランニング」(FP)という。

 

 「ファイナンシャル・プランニング」( FP)

には家計について金融や年金制度など、幅広い知識が必要になる。

 

 これらの知識を備え、相談者をサポートする専門家が「ファイナンシャル・プランナ(FP)である。

 

 「ファイナンシャル・プランナー」(FP)が対応できる事例は、次の10個である。

 

  • 家計管理:日々の家計管理・貯蓄の方法
  • 教育資金:教育資金の準備・奨学金の活用

  • 住宅資金:住宅ローンの借り方・繰り上げ返済・借換え方法

  • 税制:医療費控除・配偶者控除などのしくみ

  • 介護・医療費:介護費用の準備・介護保険制度のしくみ

  • 老後の生活設計:老後の生活資金の準備・老後の生活設計

  • 年金・社会保険公的年金制度のしくみ・社会保障制度のしくみ

  • 資産運用:退職金の運用方法・投資信託などの金融商品のしくみ

  • 保険:保険のしくみ・必要な死亡保障・医療保障の考え方

  • 相続・贈与:遺言や相続に関する準備・子や孫への資金贈与

 

 リベ大両学長によれば、簿記やFPを学習するメリットは次の5つである。

 

  • ビジネスに活かせる
  • 公的補償を知って不要な保険が分かる
  • 住宅取得で失敗しなくなる
  • 公的年金を知り老後設計に活かせる
  • 資産運用の基礎知識が身につく 

 

 参考:【最高の基礎教材】本気でお金持ちになりたいなら簿記とFPを学ぶべき5つの理由【お金の勉強 初級編】(アニメ動画):第5回

www.youtube.com

 

 以上のことから考えると、「ファイナンシャル・プラニング」はわれわれが生活する上で

必要なお金回り、ほとんどすべてを扱う分野である。

 

 では、「3級FP技能検定」で得られる「FP3級」とはどんな資格なのか。

 

 「株式会社フォーサイト」のHPを参考に、「FP3級」について考えてみる。

 

 参考:株式会社 フォーサイト

www.foresight.jp

 

 この資格は、お金と暮らしに関わる様々な知識が得られる資格である。

 

 ということは、生命保険や相続などライフイベントの相談に乗ったりする仕事も専門的にできるようになる、と考える人もいるだろう。

 

 しかし、残念なことに「FP3級」の知識では

このようなお金に関わる仕事を専門にするには充分ではない。

 

 履歴書に「FP3級取得」と書いても、就職・転職で有利になることはない。

 

 つまり、「3級FP技能検定」はお金の「教養程度」の知識が得られるものであると考えてもよい。

 

 それでも、日常のお金について理解が深まるのであれば取得しても損はない。

 

 では、どのように学習していく予定か。

 

 この資格は、合格率平均70%とハードルは低い。

 

 基本的に独学で、充分である。

 

 独学する上で、必要な参考書と問題集は次の2冊である。

 

 参考:みんなが欲しかった!FPの教科書3級

みんなが欲しかった! FPの教科書 3級 2020-2021年 (みんなが欲しかった! シリーズ)
 

 

 参考:みんなが欲しかった!FPの問題集3級

みんなが欲しかった! FPの問題集 3級 2020-2021年 (みんなが欲しかった! シリーズ)
 

 

 カント道徳哲学など倫理学にも引き続き

力を入れながら、今年は「マネーリテラシー

の向上にも努める1年としたい。【終わり】 

【第5回】2021年の目標ー2020年を振り返りながら

本当の自由を手に入れるお金の大学

本当の自由を手に入れるお金の大学

 

 

 [今年の目標]

■質のいいブログ記事執筆

■朝活と質のいい睡眠

■『たんなる理性の限界内の宗教』読了

『学校におけるケアの挑戦』読了

日商簿記3級受験

■FP3級受験

 

日商簿記3級受験

 

 以前、twitterでこんな発信をした。

 

 

 前回の記事でも書いたが、2020年の後半からお金の勉強を始めた。

 

参考:過去記事

chine-mori.hatenablog.jp

  

 2020年に「マネーリテラシー」の大切さに気づき、これまで継続してきた学習と併行してお金の勉強を開始した。

 

 2021年は本格的に勉強を開始するため、日商簿記3級を受験する。

 

 リベ大両学長によれば、簿記こそ「世界の経済を支える根幹的な技術」である。

 

 この技術を学んで、損をすることはあり得ない。

 

参考:【価値ある資格】簿記3級・2級の学習を始めるのに「最適な時期」とその理由【お金の勉強 初級編】:(アニメ動画)第25回

www.youtube.com

 

 上の動画によれば、簿記を学ぶメリットは次の4つである。

 

 ●資産形成に役立つ

 ●会計士や税理士などのステップアップに

 役立つ

 ●経済ニュースや経済書籍の理解度が増す

 ●副業や独立起業に役立つ

 

 簿記3級を勉強し始めて、資産形成について知識が広がり、経済ニュースや経済に関する書籍も読むようになった。

 

 では、どのように学習を進めていくのか。

 

 今回は、「クレアールweb通信講座」を受講することにした。

 

参考:クレアールweb通信講座

www.crear-ac.co.jp

 

 受講してみて、本講座は内容が具体的でわかりやすい。

 

 最短で合格できる勉強法なども、参考になった。

 

 勉強すればするほど、これまでいかに「お金の教育」を受けてこなかったかを実感する。

 

 資本主義社会で生活している限り、哲学や教育についての学習を継続する上でも、お金の知識は必要である。

 

 6月の試験に向けて、2021年前半は、簿記3級の学習を進めていく。【続く】

 

参考:商工会議所の検定試験

www.kentei.ne.jp