Es irrt der Mensch, solang er strebt.

人間は努力する限り誤るものである。

【翻訳】Tom Regan,1983:The Case for Animal Rights (p.174-pp.185)①

The Case for Animal Rights

The Case for Animal Rights

  • 作者:Regan, Tom
  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: ペーパーバック
 

           5.5 KANT’S POSITION:HUMANITY AS END IN ITSELF

     (p.174-pp.175)

  Unlike Rawls, whose views on our duties regarding animals are unclear at best, Kant provides us with an explicit statement of indirect duty view. That Kant should hold such a view should not be surprising ; it is a direct consequence of his moral theory, the main outlines of which may be briefly, albeit crudely, summarized for a second times (see 4,5).On Kant`s view, rational beings, by which he means moral agents, are ends in themselves (have, that is, independent value, or worth, in their own rights, quite apart from how useful they happen to be to others) .As such, no moral agent is ever to be treated merely as a means. This is not to say that we may never make use of the skills or services of moral agents in their capacities as, say, machines, plumbers, or surgeons. It is to say that we most never impose our will, by force, coercion, or deceit, on any moral agent to do what we want them to do just because we stand to benefit as a result. To treat moral agents in this way is to treat them as if they had no value in their own right or, alternatively, as if they were things. As Kant remarks, “beings whose existence depends, not on our will, but on nature, have nonetheless, if they are non-rational only a relative value and are consequently called things “. Moral agents are not nonrational, do not have “only a relative value, “and are not things. Moral agents (rational beings) are ends in themselves.

 【翻訳】

              5.5 カントの立場:目的それ自体としての人格

 動物に関するわれわれの義務についての見方がせいぜい不明確であるロールズとは違って、カントは私たちに間接義務の見解を明確に提示する。カントが次の見解を保持する必要があることは驚くべきことではない。すなわち、それは彼の道徳理論の直接の帰結であり、その大まかな概要は、大雑把ではあるが、もう一度要約されるだろうということである(第4章と第5章を見よ)。カントの見解では、彼が道徳的主体を意味する理性的存在者はそれ自体で目的である(つまり、他人に起こることがどのように役立つかということからかなり離れて、自分の正しさの中にある、独立した価値、または重要性を持つ)。このように、道徳的主体が単に手段として扱われることは決してない。これは、例えば機械、配管工、外科医のような能力の中で、道徳的主体の技術や点検を決して利用しないわけではない。結果としてわれわれが利益を得る立場にあるという理由で、われわれが望むことをするため力、強制、または欺瞞によって道徳的主体に意志を押しつけることはほとんどない。道徳的主体をこのように扱うことは、彼らにそれ自体価値がないかのように、あるいは彼らが物件であるかのように扱うことである。カントが述べているように、「われわれの意志ではなく自然に依存している存在者は、それにもかかわらず、非合理的であり結果的に物件と呼ばれる場合のみの存在である」。道徳的主体は非理性的でもなく、「単に相対的な価値だけ」を持つわけでもなく、物件でもない。道徳的主体(理性的存在者)はそれ自体目的である。【続く】

 

【記事50本達成】振り返りと今後の展望

 新生活を始めてネット環境がなかったのとコロナ禍で約1ヶ月投稿できなかったが、前回の記事で50本達成した。

 

参考:前回の記事

chine-mori.hatenablog.jp

 

 これまで様々な人の記事を参考にしつつhatena blogの機能なども試しながら書いてきた。まだ慣れない所もあるが、ある程度は活用できるようになってきただろう。そこで今回はこれまでを振り返り今後の展望について書くことにする。

 

[内容]

●これまでの振り返り

●今後の展望

 

●これまでの振り返り

 本ブログは当初から次の内容で投稿している。

①カント道徳哲学  ②動物倫理学  ③教育倫理学

 

参考:最初に書いた記事

chine-mori.hatenablog.jp

①カント道徳哲学

 これまでの記事は「カント道徳哲学」でも自分の専門分野である「定言命法」と「義務」についての内容が多かった。これまで読んだ著作や論文について考察する計画だったが、持論を展開する内容が多かった。

 

 分量が大きくなったので、「カント道徳哲学」に関することに限ったことではないが、大体1000字程度の内容を数回に分けて掲載してきた。

 

②動物倫理学

 「伴侶動物と人との関わり」を中心に書いてきた。理論と実践を踏まえた内容を心がけてきた。その中でテレビで見た「差別」の問題と「種差別」の関係について記事を書けたことはよかった。また写真を使って以前行った「TNR」の活動や我が家の愛猫の紹介なども行えた。

 

 このテーマを書く際に特にhatena blogの機能を試しながら行えたことは楽しかった。しかし自らの不勉強を感じることが度々あった。今後は「動物倫理」に関する書籍を読みながら知識と理解を深めていきたい。

 

③教育倫理学

 当初「ケア論」を中心に考察を行っていくつもりだったが、結局カントの道徳教育に関する記事を書いた。「ケア論」よりも『教育学』とカント道徳哲学との関連から自ら感じる現在の教育現場について考えていきたいという方向に変わった。

 

 抽象的だと言われる「哲学」を実際の現場に落とし込みたいという気持ちは日頃から持っている。過渡期にある現在の学校現場でカント哲学がどのように関わることができるか実践の中から今後も考えていきたい。

 

●今後の展望

 「カント道徳哲学」については書籍や論文などのまとめを掲載していきたい。これまで読んできた著作を自分なりにまとめながらこの分野について継続して考察できたらと思う。

 

 「動物倫理学」について、自分が調べた限り「伴侶動物」に関する文献が比較的少ない。これから少しずつ収集すると同時にこの分野の基本的な考え方を学んでいく。

 

 「教育倫理学」について今後カント道徳教育への方向に移行するだろう。カント道徳哲学と道徳教育について理解を深めながら「ケア論」についても取り組んでいきたい。

 

 大雑把な展望であったが100本記事を書いた時にでも再度検証する。それから独語の検定試験に関する記事も書いた。この場で進捗を適宜報告しながらモチベーション維持に努めてきたい。

 

 仕事や家庭のことなどで社会人になると学習時間が大幅になくなる。しかし「時間がない」を言い訳にはしたくない。今後もこれまでやってきたことを淡々と継続していく。【終わり】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【再挑戦】ドイツ語検定5級への道②

 今年から異動になり新たな職場、新たな生活がスタートした。単身赴任ということもあり慣れない土地で生活が始まった。新居となる職場の寮はネット環境も何も完備しておらず1からの構築だった。しかし妻が引っ越しの手伝いに来たお陰で短期間でネット以外の生活基盤は整った。

 

 以前書いたブログはwi-fiがあるカフェからの書き込みだった。「新型コロナ感染拡大防止」の観点からこのカフェも数日後に営業自粛。ネット環境のない状態が1ヶ月以上続きブログ更新が滞った。しかし寮のネット環境も整いブログ更新が今回から再開できる。

 

参考:カフェでの初ブログ更新

chine-mori.hatenablog.jp

 

 「新型コロナ感染拡大防止」のお陰で赴任してすぐ在宅勤務となり大分時間的余裕があった。外出規制も出ているので家での勉強に時間が割けた。しかし今後多忙が予想され時間が確保できるか心配である。勉強時間の確保が今後も課題になるだろう。

 

 さて独語検定試験申し込みが4月1日からスタートしていた。しかし「新型コロナウィルス感染拡大防止」により「独検2020夏」が中止になった。

 

www.dokken.or.jp

 

 今年秋から冬にかけて「新型コロナ感染拡大」の第2波・第3波が来るだろうと予想されている。今後のリスクも考えて今年は受験を断念することにした。当初の計画を変更し次回の受験に向けて準備をすることにする。

 

[これまでの行動]

①『ドイツ語基本の500単語』での暗記

 以前ブログで紹介した『ドイツ語基本の500単語』を約2ヶ月で5,6回通した。

chine-mori.hatenablog.jp

 

  本書は単語だけでなく基本的な文法事項も掲載されている。覚えた単語や既に知っていた単語などにチェックを付けながら何度も通して単語を程度覚えられた。その後基本的な文法事項を「思い出す」作業に入った。独語検定5級のポイントが「分かった」気にはなった。

[今後の行動]

①文法事項の確認の深化

「動詞の活用」や「定冠詞の格変化」など基本的な文法事項の復習を行っていく。使用する予定の文法書は『CD付 独検5級・4級・3級対応 ドイツ語文法』である。

 

CD付 独検5級・4級・3級対応 ドイツ語文法

CD付 独検5級・4級・3級対応 ドイツ語文法

 

 

 この本の著者の別の文法書で私は大学院を合格できた。今回も検定試験の参考書としてこの著者の文法書を購入する。

 

参考:大学院入試で使用した参考書(当時)

詳解ドイツ語文法

詳解ドイツ語文法

  • 作者:在間 進
  • 発売日: 2006/09/01
  • メディア: 単行本
 

 ※所有しているものは旧版。

ドイツ語基本単語と公式

  • 作者:有田 潤
  • 発売日: 2001/07/01
  • メディア: 単行本
 

 ※単語より構文を理解するのに役立った。独文を読む要領を得た1冊だった。

 

 

②問題演習(過去問演習)

  受験勉強の鉄則は「過去問」に触れることである。ということで今回は『独検過去問題集2020年版<5級・4級・3級>』を購入予定。

独検過去問題集2020年版<5級・4級・3級>

独検過去問題集2020年版<5級・4級・3級>

  • 発売日: 2020/04/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

  

 5級だけでなく4級・3級と上級試験にも対応しているので長く活用できそうである。当初取り組んだ『独検5級合格講座 入門ドイツ語スタート・ダッシュ』の復習もしながら過去問演習を行っていく。

独検5級合格講座 入門ドイツ語スタート・ダッシュ

独検5級合格講座 入門ドイツ語スタート・ダッシュ

 

 

③『ドイツ語基本の500単語』の継続

 単語は忘れないよう継続しなければならない。物足りなさを感じるのであれば、次の単語帳を購入したい。

新・独検合格 単語+熟語1800

新・独検合格 単語+熟語1800

 

 著者が在間進氏であることと上級の検定試験にも対応しているので購入予定の候補として挙げる。

 

 昨年の目標にも掲げていたが何も着手できず終了した。未着手の目標を実現させるため宣言をし行動に移していく。この方法を通じて目標達成をしていきたい。

 

 

 

道徳教育での「主体的・対話的で深い学び」についての一考察-カント道徳教育を中心に-⑦

5.終わりに

  以上、平成30年度告示『高等学校学習指導要領』とカント道徳教育から「主体的・対話的で深い学び」について検討してきた。インターネットによって新時代の到来が社会や生活を大きく変えていく。その中で教育活動全体を通じて「人間としての在り方生き方」に関する道徳教育の充実を図ることを高等学校は目標に置く。

 

 近い将来に備えるため「主体的・対話的で深い学び」による授業実践が必要である。一方で、自立した社会の一員となり自分自身の内的価値を持てる存在者となるような指針を18世紀既にカントが示した功績は注目に値する。

 

 カントという人物のフィルターを通して平成30年度告示『高等学校学習指導要領』での目玉である「主体的・対話的で深い学び」を検討した結果、現代の道徳教育への新たな視点が得られただろう。

 

 今後カントの道徳教育に基づいた授業実践を行い検証していきたい。「トロッコ問題」や「ハインツのジレンマ」などの「モラル・ジレンマ」の授業を通して、カントの道徳教育の方法論が授業実践の中でどこまで通用するのか検証を進める。大きな変化の中で子どもたちが活躍できる社会を目指して、理論と実践の両方を重視した研究を継続していきたい。

 

参考文献

 Kant.I,1784:Beantwortung der Frage:Was ist Aufklärung?

(邦題:啓蒙とは何か、『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』所収、中山元訳、

                         光文社古典新訳文庫、2006年.)

―――a,1797:Kritik der praktischen Vernunft

(邦題:訳注・カント『実践理性批判』、宇都宮芳明著、以文社、1990年.)

―――b,1797:Metaphysik der Sitten

(邦題:人倫の形而上学、『カント全集第11巻』所収、吉澤・尾田訳、理想社、1969年.)

―――,1803:Immanuel Kant über Pädagogik.Herausgegeben von D.Friedrich Theodor Rink(邦題:教育学、『人間学・教育学-西洋の教育思想5-』所収、三井善止訳、玉川大

                             学出版部、1986年.)

Mayerof.M,1971:On Caring

     (邦題:ケアの本質-生きることの意味 田村・向野訳 ゆみる出版 2003年.) 

田中 朋弘,1998:道徳の形而上学的基礎づけと道徳的判断、『琉球大学法文学部人間科学

             科学科紀要 人間科学 第2号』所収、琉球大学、1998年.

須長 一幸,2004:モラル・ジレンマ とケアの倫理、『生命倫理 2004年14巻1号』所収、

                          日本生命倫理学会、2004年.

安井 絢子,2010:「ケア」とは何か -メイヤロフ、ギリガン、ノディングスにとっての

 「ケア」-、『哲学論叢(2010)37(別冊)』所収、京都大学哲学論叢刊行会、2010年.

中央教育審議会,2014: 初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について

                         (諮問)、文部科学省、2014年.

西川 純,2015:すぐわかる! できる! アクティブ・ラーニング、学陽書房、2015年.

徳永 正直,2016:道徳教育の新たな可能性 -「市民性教育」(citizenship education)と

 の関係を考える-、『大阪樟蔭女子大学研究紀要第 6 巻』所収、大阪樟蔭女子大学

                                    2016年.

池谷 壽夫,2017:脆弱性,ケアと道徳教育、『了德寺大学研究紀要 第11号』 所収、了德寺

 大学、2017年.北村 良子,2017:論理的思考力を鍛える33の思考実験、彩図社、2017年.

河村 茂雄,2017:アクティブ・ラ-ニングのゼロ段階:-学級集団に応じた学びの深め方、

                              図書文化社、2017年.

文部科学省,2018:高等学校学習指導要領(平成30年告示)、東山書房、2018年.

――――a,2019:高等学校学習指導要領解説 公民編(平成30年告示)、東京書籍、

                                    2019年.

――――b,2019:高等学校学習指導要領解説 総則編(平成30年告示)、東洋館出版社

                                    2019年.

嶋崎 太一,2019:「ソクラテス式問答」と道徳教育 :カントの教育方法学、

           『HABITUS 23巻』所収、西日本応用倫理学研究会、2019年.

                                  【終わり】

道徳教育での「主体的・対話的で深い学び」についての一考察-カント道徳教育を中心に-⑥

6.『啓蒙とは何か』での理性の公的な利用(その2)

参考:前回の内容

chine-mori.hatenablog.jp

【前回の続き】

 このカントの主張から平成30年度告示『高等学校学習指導要領』に記載されている「主体的・対話的で深い学びの実現」(文部科学省,2018,19)が想起される。

 

参考:『高等学校学習指導要領』(平成30年度告示)

高等学校学習指導要領

高等学校学習指導要領

 

 

 平成 26年 11月 20 日の中央教育審議会への諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」で具体的な審議事項として、今後の「アクティブ・ラーニング」の在り方について考え方を示した。

 

参考:初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)

www.mext.go.jp

 

 これを受けて中央教育審議会で我が国の学校教育の様々な実践や各種の調査結果、学術的な研究成果などを踏まえ検討が行われた。生徒に必要な資質・能力を育むための学びの質に着目し授業改善の取組みを活性化していく視点として中央教育審議会は「主体的・対話的で深い学び」を位置付けた。「主体的な学び」、「対話的な学び」、「深い学び」の視点は各教科などで優れた授業改善などの取組に共通しかつ普遍的な要素である。

 

 このように平成30年度告示『高等学校学習指導要領解説 総則編』で「主体的・対話的で深い学びの実現」についての経緯を示している。

 

参考:『高等学校学習指導要領解説 総則編』(平成30年度告示)

 

 但し平成30年度告示『高等学校学習指導要領』では「アクティブ・ラーニング」という言葉は見られない。しかし「アクティブ・ラーニング」の視点で「主体的・対話的で深い学び」を考えるのであれば、西川純の指摘がひとつの手がかりになるかもしれない。

 

 西川は文部科学省が発表した「アクティブ・ラーニング」のポイントを次の2点に整理する。1つ目は教員による一方的な講義形式の教育とは異なり、学習者の能動的な学習への参加を取り入れていることである。例えば教師が綿密に計画を立て、子どもが教師の思った通りに動くという問題解決学習やグループワークなどは「アクティブ・ラーニング」ではない。2つ目は認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成をしていることである。例えば電流と電圧の関係を発見学習で学んでいるとき、子どもの倫理的成長を期待しない。これは一般的なことである。しかしそれでも認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成をしなければ「アクティブ・ラーニング」とはいえない。

 

参考:『すぐわかる! できる! アクティブ・ラーニング』

すぐわかる! できる! アクティブ・ラーニング

すぐわかる! できる! アクティブ・ラーニング

  • 作者:西川純
  • 発売日: 2015/08/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 また河村茂雄は「アクティブ・ラーニング」を通して能動的に状況や他者との関わる中で、新たな知識や技能・情報を獲得し自分の考えを再構成して深めていくことで生徒が様々な資源・能力を身に付けていくことを示唆している。

 

参考:『アクティブ・ラ-ニングのゼロ段階:-学級集団に応じた学びの深め方』

 

  カントの「理性の公的な利用」と西川や河村の見解を比較すると次のような結果が得られる。すなわち、それはみずから理性を使って互いに意見を述べ合いながら問題解決を図る態度の育成をカントが想定しているのであれば、「主体的・対話的で深い学び」という概念は学習者の能動的な学習への参加を意図しているし、生徒の様々な能力を活用しながら汎用的能力の育成を目指している、ということである。能動的な学習を通して生徒が様々な能力を身に付けていくことが両者共通して考えられている。

 

 急激な少子高齢化が進む中で成熟社会の進展や「知識基盤社会」という社会的背景から「主体的・対話的で深い学び」の授業実践が求められている。以上の考察からカントのいう「理性の公的な利用」という概念もこのような実践が意図されている。【続く】

 

道徳教育での「主体的・対話的で深い学び」についての一考察-カント道徳教育を中心に-⑤

5.『啓蒙とは何か』での理性の公的な利用(その1)

 『啓蒙とは何か』冒頭でカントは「啓蒙」について次のように述べる。

 

 参考:『啓蒙とは何か』

 

  啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気も持てないからだ。だから人間はずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。                (Ⅷ,35)

 

 カントは「啓蒙」を「みずから招いた未成年の状態から抜け出ること」と定義する。未成年の状態は「他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができない」ことを意味する。そして未成年の状態から脱し彼は「自分の理性を使う勇気」を持つことを主張する。

 

 学校現場でも自分で考える前に教師の指示を待っている生徒は少なからずいる。「他人の指示を仰がなければ」行動できない未成年状態はあまりにも楽なので、自分で行動できる人は僅かであることをカントも認めている。それでは「未成年の状態から抜け出ること」ができないことは確かである。

 

 

 平成30年度告示『高等学校学習指導要領』にもあるように「人間としての在り方生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養う」ことは難しい。

 

参考:『高等学校学習指導要領』(平成30年度告示)

高等学校学習指導要領

高等学校学習指導要領

 

 

 

 この問題について考えるひとつの手がかりとしてカントの「理性の公的な利用」という考え方が有効である。カントは「理性の公的な利用」を「すべての公衆の前で、みずからの理性を行使する」(,37)と定義する。これは何を意味するのだろうか。「すべての公衆の前で」という部分から自分の言葉で考えを述べ合いながら互いの考えを向上させる弁証法的議論であると解釈できる。みずからの理性を使って互いに意見を述べ合いながら問題解決を図る態度の育成をカントも想定している。【続く】

 

 

道徳教育での「主体的・対話的で深い学び」についての一考察-カント道徳教育を中心に-④

4. 『実践理性批判』での道徳的教育方法(その2)

参考:前回の記事

chine-mori.hatenablog.jp

  

【続き】

 但し、カントの道徳的教育方法はソクラテスの「問答法」を意識しているように思われる。『人倫の形而上学』によれば教師は生徒の思想の産婆である。教師は自分の生徒の中に宿るある種の概念への素質を育成することによって指導する。自分自身で考えることができると悟る生徒の反問によって、教師はいかに上手に質問しなければならないかを学ぶ機会が与えられる。

 

参考:嶋崎 太一,2019:「ソクラテス式問答」と道徳教育 :カントの教育方法学

ir.lib.hiroshima-u.ac.jp

 

  実際『人倫の形而上学』第2部第2編「倫理学の方法論」の「注 道徳的問答教示法の断片」では「問答法」を活用した生徒と教師の実例を示している箇所がある。この「断片」では教師からの問いかけと生徒の応答で成り立っている。以下、第1段落から第3段落までを引用する。 

 

参考:『人倫の形而上学

 

1、教官。汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求は何か。

  生徒。(黙して答えず)

 教官。万事がつねに汝の望みのままになることである。

2、教官。このような状態は、なんとよばれるか。

  生徒。(黙して答えず)

  教官。それは幸福(不断のしあわせ、満ち足りた生活、自分の状態に全

  面的に満足しきっていること)とよばれる。

3、教官。では汝が(この世において可能であるかぎりの)あらゆる幸福を手

  中に納めているとしたら、汝はそれをすべて自分のために手放さずに

  おくか、あるいはまたそれを汝の隣人にも分け与えるか。

  生徒。私はそれを分け与え、他のひとびとをも幸福にし、満足もさせ

  るでしょう。                      (Ⅵ,480) 

 

 教師と生徒のやりとりがこれ以降第8段落まで続く。様々な質問を駆使し、答えに詰まると補いながら未発達な子どもの心を道徳的善に向かわせる道筋を教師が示す。これがカントの理想とする道徳的教育方法である。

 

  本稿冒頭でも述べたように大きな社会変化の中で「主体的・対話的で深い学び」の授業実践が必要である。

 

 参考:道徳教育での「主体的・対話的で深い学び」についての一考察-カント道徳教育を中心に-①

chine-mori.hatenablog.jp

 

  その実践の中で必要なことは教師対生徒のような「問答法」的な授業方法ではないだろう。むしろ生徒対生徒のような双方向的な生徒同士で考えさせる授業を意識した方がいいと思われる。その点について「ケア論」的な教育実践を採用する方が適切だろう。

 

参考 : 池谷 壽夫,2017:脆弱性,ケアと道徳教育

ryotokuji-u.repo.nii.ac.jp

 

 さて『実践理性批判』と平成30年告示『高等学校学習指導要領解説 公民編』を比較すると両者に共通点が見出される。それは具体的事例に基づいて道徳的判断力を生徒間で善悪の評価を行うことを通して道徳的判断力を育成することを視野に入れていることである。徳永正直も指摘するように近年道徳の授業は予め設定された道徳的価値の「教え込み」(inculcation)に終始している。その結果子どもに「偽りの自己」としての「良い子」を演じさせる「隠れたカリキュラム」に道徳の授業は陥っていると考えられる。

 

参考:徳永 正直,2016:道徳教育の新たな可能性

           -「市民性教育」(citizenship education)との関係を考える-

osaka-shoin.repo.nii.ac.jp

 

 「教え込み」など教師の高踏的で驕慢な要求によって子どもに道徳的効果を与える授業を回避し、「モラル・ジレンマ」を活用した方法が効果的であるとカントも文部科学省も考えているのだろう。【続く】