ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【私訳#20】Justice:What's the right things to do ?- 『英語で読む哲学』より

 

 

はじめに

 入不二基義編『英語で読む哲学』をテキストに、マイケル・サンデル”Justice:What's the right things to do ?”(邦題『これからの「正義」の話をしよう』)を訳出する。今回は第20回である。

 

【前回の記事】

chine-mori.hatenablog.jp

 

 最初に原文を記し、次に単語の意味や文法解説と私訳を提示する。そして、本書の翻訳を該当箇所から引用する。その後、私訳と本書の訳を比較した私見を述べる。

 

[内容]

■原文

■単語と文法事項の確認

■私訳

■本書の訳

■私訳と本書の訳の比較

 

■原文

Some people, including many who support price-gouging lows, finds the virtue argument discomfiting. The reason:It seems more judgmental than arguments that appeal to welfare and freedom. To ask whether a policy will speed economic recovery or spure economic growth does not involve judging people's preference.It assumes that everyone prefers more income rather than less, and it doesn't pass judgment on how they spend their money. Similarly, to ask whether, under conditions of duress, people are actually free to choose doesn't require evaluating there choices. The question is whether,or to what extent, people are free rather than coerced. 

 

■単語と文法事項の確認

・discomfit:当惑する 

・judgmental:独善的に早急に判断する 

・policy:政策 

・speed:加速する 

・spure:駆り立てる 

・preference:選好 

・pass:下す 

・duress:脅迫 

・evaluate:評価する 

・coerce:強要する 

 

■私訳

法外値上げ法を支持する人も含め、美徳論に当惑する人も見つける。理由として、幸福や自由に訴える議論よりも早急に判断するように思われるからである。ある政策が経済復興を加速させたり経済成長を駆り立てるかどうかを問うことは、人々の選好判断を含まない。誰もが少ない収入よりも多い収入を選好すると仮定するし、お金をどう使うかについての判断も下さない。同様に、強要された状況下で、人々が実際自由に選択できるかどうかを問うことは、その選択を評価することを必要としない。問題は、人々が強要されるよりも自由であるかどうか、もしくはどの程度自由であるかである。 

 

■本書の訳

美徳論にとまどう人もいる。便乗値上げ禁止法支持者にもそういう人は多い。美徳論は、幸福と自由に訴える議論よりも、分別を押しつけるところがあると思われるからだ。ある政策によって経済復興が早まるか、経済成長が促されるかを問うとき、人々の選好に関する判断は含まれない。そこでは、誰もが少ない収入よりも多い収入を選好すると仮定されており、人々のお金の使いかた[の是非]に関して判断を下されない。これと同時に、追い詰められた人々が本当に自由に選択できるかどうかを問うとき、彼らの選択[の是非]を評価する必要はない。問題は、人々が強いられず自由であるかどうか、あるいはどの程度自由なのかである。 (p.25)

 

■私訳と本書の訳の比較

「美徳論」(the virtue argument )には、「分別を押しつける」(judgmental)ところがある。「便乗値上げ禁止法支持者」(who support price-gouging lows)の中にも、「美徳論」を支持しない人もいる。

 

 自然災害などの緊急事態の中で「追い詰められた人々」の自由の是非を、われわれは「評価」(evaluate)できない。ここでのポイントは、人々が強制されず「自由」(free)であるかどうか、または「どの程度」( what extent)「自由」なのかである。【続く】

 

【次の記事】

chine-mori.hatenablog.jp

 

【参考文献】