ネコと倫理学

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【要約と注釈⑪】たんなる理性の限界内の宗教|第1編 (Ⅲ) (段落6~段落10)

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

カント全集〈10〉たんなる理性の限界内の宗教

  • 作者:カント
  • 発売日: 2000/02/25
  • メディア: 単行本
 

 

[内容]

第1編 悪の原理が善の原理とならび住むこと
   について、あるいは人間の本性のうちな
   る根源悪について

 

Ⅲ 人間は生来悪である

 ・段落6 要約と注釈

 ・段落7 要約と注釈

 ・段落8 要約と注釈

 ・段落9 要約と注釈

 ・段落10 要約と注釈

 文献

 

[段落6]

要約

「格率」一般の統一で、「道徳法則」に固有のものを理性は必要とする。「傾向性」の動機には、幸福以外に「格率」の統一はあり得ない。この場合、経験的性格は善であるにしても英知的性格は悪である。(Ⅵ,36ー37)

注釈

  「傾向性」とは「習慣的な感性的欲望」である。その動機には「幸福」以外に「格率」の統一はあり得ない。ただし、ここでの「幸福」は自らの安寧なども含まれる。例えば「嘘も方便」のような「格率」も成立し得る。この場合、経験的側面では善になるとしても英知的側面では悪になる。

 

[段落7]

要約

転倒への性癖が人間本性にあることは、悪への自然的性癖が人間にあるということである。最終的に自由な「選択意志」内に求められなくてはならないので、この性癖は道徳的に悪である。この悪は、「根源的」であり人間の力で「根絶する」こともできない。これは自由に行為する存在者として人間の中に見出されるので、これに「打ち勝つこと」は可能でなければならない。(Ⅵ,37)

注釈

  ここでの「転倒」は「道理に背く考え」である。カントによれば、この性癖は人間に存在する。自由な「選択意志」の中に求められなくてはならないので、この性癖は道徳的に悪である。自由に行為する存在者として人間の中に見出されるので、この性癖に「打ち勝つこと」は可能でなければならない。

 

[段落8]

要約

「悪意」は「悪なるが故に」悪を動機として、「格率」の中に採用する心術である。人間本性の邪悪さは心情の「倒錯」と呼ばれなければならない。悪い心情は、善である意志と共存し得る。悪い心情は、人間本性の脆さからくる。悪徳が不在ならば、「心術」は「義務の法則」に適っているというように解釈する考え方それ自身、人間の心情での根本的な倒錯と呼ばれなければならない。(Ⅵ,37)

注釈

 「悪意」は悪を動機として格率の中に採用する心術である。悪い心情は善である意志と共存できる。人間の中に悪徳が存在しないならば、「心術」は「義務の法則」に適っていると解釈する考え方それ自体、人間の心情での根本的な「倒錯」と呼ばなければならない。

 

[段落9]

要約

「生得的」な罪責と呼ばれる理由は、自由の使用が人間の幼少期に表出してくると同じく自由から発していなければならない。責任を帰すものだからといって、最初の2段階[脆さと不純さ]では無作為の罪責であると判断できる。第3段階では、故意の罪責だと判断できる。行為が引起こした悪を結果的に生じさえしなければ、奸悪は法則に照らして自分は正当だと思う。多くの人々の良心の安らぎは、ここから来る。法則を最優先しなかった行為のただ中にあっても悪い結果を免れさえすれば、他人が犯している過ちに自分は負い目を感じないで済む。その功績を誇るうぬぼれはここから来る。この不誠実さは、真性の道徳的心術がわれわれの中に根付くのを妨げる。これは、外的にも拡大し他人への不信や欺きとなる。卑劣という名に値するこの不誠実は、人間本性の根源悪を含む。この悪は、人類の腐った汚点となる。(Ⅵ,38)

注釈

  結果的に悪である行為を引き起こさなければ、「奸悪」は法則に照らして自分は正当だと思う人々は存在する。「道徳法則」を最優先しなくても悪い結果を免れさえすれば、他人が犯している過ちに自分は負い目を感じなくて済む。カントはこのような「心術」を「不誠実さ」と呼ぶ。この「不誠実さ」が真性の道徳的心術をわれわれの中に根付かせることを妨げる。この不誠実さをカントは「卑劣という名に値する」と表現する。彼によれば、この悪は人類の腐った汚点である。

 

[段落10]

要約

イギリス議会の議員が「どんな人間にも自分を売飛ばすのに見合った価格がある」と、気炎を吐いた。これが真ならば、徳を破壊するだけのどんな度合いの誘惑も人間について普遍的に真だということになる。(Ⅵ,38ー39)

注釈

  「どんな人間にも自分を売飛ばすのに見合った価格がある」ことが真であるならば、徳を破壊するだけのどんな度合いの誘惑も人間について普遍的に真だということになる。

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).【続く】

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。