[内容]
第2編 人間の支配をめぐっての善の原理による悪との戦いについて
・段落1 要約と注釈
・段落2 要約と注釈
・段落3 要約と注釈
・段落4 要約と注釈
・段落5 要約と注釈
文献
[段落1】
要約
道徳的によい人間になるには、悪の原因とも戦わなければならない。この点を、ストア派の人々は「徳」という言葉で標榜する。(Ⅵ,57)
注釈
ストア派が言う「徳」は、「勇気」や「果敢さ」を意味する。そもそも勇気を促すことは、すでに半ば勇気を引起こすことと同じである。
[段落2】
要約
不注意で傾向性に欺かれる「愚かさ」に対処する「知恵」をストア派の人々は、喚起した。しかし、魂を腐敗させる原則により密かに心術を損なう「悪意」に知恵を召喚したわけではない。(Ⅵ,57)
注釈
「愚かさ」に対処するものとしてストア派の人々は、「知恵」を喚起した。しかし、人間の心情としての悪意に対し知恵を召喚したわけではない。
[段落3】
要約
自然的傾向性は、「それ自体見れば善」である。幸福という名の全体の調和にもたらされるよう、傾向性を抑制すればよい。これを達成する理性は、「思慮」である。道徳的に反法則的なものだけが、それ自体悪である。このことを教える理性だけが、「知恵」という名に値する。この知恵に対し悪徳は、「愚かさ」である。(Ⅵ,58)
注釈
自然的傾向性は、何ら非難されるものではない。単に幸福という全体の調和がもたらされるよう傾向性を、われわれが抑制すればよい。道徳的に反する法則だけが、悪である。このことを教える理性こそ、「知恵」である。
[段落4】
要約
義務を遵守する際の障害である傾向性が克服されなければならない以上、人間の道徳的戦いは傾向性との争いである、と「ストア学派」は考えた。傾向性と戦う上で、彼らは「怠慢」にしか違反の原因を措定できなかった。怠慢そのものが、義務に反する。原因は、選択意志を規定するもののみ求める。(Ⅵ,59)
注釈
「ストア学派」によると、人間の道徳的戦いは傾向性との争いである。傾向性と戦う上で、彼らは「怠慢」を違反の原因であると措定した。
[段落5】
要約
ある使徒が「目には見えず」原則を腐敗させてしまう敵を悪「霊」として語っているのは、怪しむに足りない。「悪霊」という表現が用いられているのは、測りがたく深い概念を「実践的使用のために」直観的にしようとしてである。実践的使用のため、誘惑者を自身の中にだけ措定しようが外にも措定しようが、われわれにとって同じである。(Ⅵ,59-60)
注釈
理性の実践的使用のため、誘惑者を自身の中にだけ措定しようが外にも措定しようが、われわれにとって同じである。
文献
Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).【続く】
※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。