ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【第5回】カントの「完全義務」と「不完全義務」について|他人に対する不完全義務ー親切の例ー【カント道徳哲学】

 

4.他人に対する不完全義務ー親切の例ー

 最後に、「他人に対する不完全義務」に反する「格率」について検討する。

 

 「われわれが安楽に生活している時、他人が困窮しているならば、その困窮している人に対してわれわれは何ら援助をしない」という「格率」が、普遍的法則としてなり得るかどうかについて、カントは考える。

 

 「自分自身に対する不完全義務」に反する「格率」と同様、確かに、この「格率」も普遍的法則として考えることは可能である。

 

 しかし、この「格率」を普遍的法則としてわれわれが受け入れるならば、われわれ自身と、この「格率」が衝突するとカントは言う。なぜなら、われわれは、どうしても人の助けを借りなければならない状況があるからである。また、われわれが困窮した場合、他人から援助を求めることができる可能性を、自ら奪うことになる。ゆえに、この「格率」を普遍的法則として意欲することはできない。

 

 以上の理由から、この「格率」は普遍的法則となり得ない。

 

 カントのこの「他人に対する不完全義務」の「格率」の中で、持ち出した理由は適切ではない。カントは、「われわれが安楽に生活している時、他人が困窮しているならば、その困窮している人に対してわれわれは何ら援助をしない」という「格率」を採用した場合の不幸な結果を考えて、その反省を促している。

 

 このカントの主張は、カント自身が非難する結果主義に基づいている。

 

 また「他人に対する不完全義務」の説明から考えると、もしもわれわれが困窮しない世界を考えるのであれば、われわれは他人から援助を求めることはないだろうし、他人に援助をしなくてもいいという見方もできる。

 

 カントのこの説明は、ある種「仮言命法」的な説明になっている。

 

 以上、『基礎づけ』でのカントの「不完全義務」についての説明は、上手くいっていない。中でも「自分自身に対する不完全義務」の説明について、何の理由も示すことなく、われわれは自己の才能を開発することを必然的に意欲すると、カントは主張する。このカントの説明には、かなり無理がある。【続く】