ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【教育倫理学】カント道徳教育の方法論|道徳的問答教示法

 

 『道徳形而上学の基礎礎づけ』(以下『基礎づけ』と略記)の中で、カントは「汝の意志の格率が普遍的法則となることを、その格率を通じて汝が同時に意欲することができるような、そうした格率に従って行為せよ」(Ⅳ,421)という、「道徳法則」を確立した。

 

 一方で、『基礎づけ』で理性的存在者となり得るが未だ成熟していない子どもたちに道徳的判断力を形成し、どう向上させるかについてカントは言及していない。

 

 そこで、今回は上記の問いを考察するため、『実践理性批判』や『人倫の形而上学』を手がかりに、カントの道徳教育の方法論について概観する。

 

[内容]

■「教え込み」ではなく考えさせる教育法の実践

■カント道徳教育の方法論は「道徳的問答教示法」である

■終わりに

 

■「教え込み」ではなく考えさせる教育法の実践

 

 『人倫の形而上学』によれば、生徒にとって教師は「思想の産婆」という位置づけであり、教師は自分の思考過程を生徒に質問することによって生徒の中にある概念への素質を育成する。

 

【参考:人倫の形而上学

 

 徳永正直も批判するように、近年の道徳の授業は、あらかじめ設定された道徳的価値の「教え込み」(inculcation)に終始していると指摘されている。このような「教え込み」の授業は、道徳だけでなく、他の教科でも日常的に行われていることだろう。

 

【参考:徳永 正直,2016:道徳教育の新たな可能性-「市民性教育」(citizenship education)との関係を考える-】https://osaka-shoin.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=4025&item_no=1&page_id=3&block_id=24

 

 一方で、『実践理性批判』によれば、実践的事例を提示して、子どもたちの道徳的判断力を形成し向上させることが重要であるとされている。抽象的ではなく、歴史的エピソードなど具体的で個別的な事例を活用し、子どもたち自身に考えさせることで、実践的な判断力を身につけることができるとされている。

 

【参考:実践理性批判

実践理性批判 [カント三批判書]

実践理性批判 [カント三批判書]

 

  

■カント道徳教育の方法論は「道徳的問答教示法」である

 

 その際に、教師が一方的に道徳について「教え込む」のではなく、生徒と教師との問答から道徳的判断力を向上させる「道徳的問答教示法」をカントは採用した。特に、未熟な生徒にとってこの方法が最も有効な手段であるとされている。

 

 『人倫の形而上学』第2部第2編「倫理学の方法論」の「注 道徳的問答教示法の断片」では、この方法を活用した生徒と教師の実例を示している。この「断片」では、教師からの問いかけと生徒の応答で成り立っている。

 

 以下、第1段落から第3段落までを引用する。 

1、教官。汝の人生における最大の、いやそれどころか全き要求は何か。
   生徒。(黙して答えず) 
     教官。万事がつねに汝の望みのままになることである。
2、教官。このような状態は、なんとよばれるか。
     生徒。(黙して答えず)
     教官。それは幸福(不断のしあわせ、満ち足りた生活、自分の状態に全面的に満足しきっていること)とよばれる。
3、教官。では汝が(この世において可能であるかぎりの)あらゆる幸福を手中に納めているとしたら、汝はそれをすべて自分のために手放さずにおくか、あるいはまたそれを汝の 隣人にも分け与えるか。
   
生徒。私はそれを分け与え、他のひとびとをも幸福にし、満足もさせるでしょう。(Ⅵ,480) 

 

   教師と生徒のやりとりがこれ以降、第8段落まで続く。

 

 様々な質問を駆使し、答えに詰まると補いながら、未発達な子どもの心を道徳的善に向かわせる道筋を教師が示す。このやりとりは、ソクラテスの対話法を想起させる。しかし注意しなければならないのは、「道徳的問答教示法」はソクラテス的対話法とは一線を画す。

 

 この箇所でのカントの主張を要約すると、以下の通りである。

 「道徳的問答教示法」は、普通の人間理性から展開する。この教授法の形式的原理はソクラテス的対話法を許可しない。ソクラテス的対話法の場合、教官のみが質問者である。教官が生徒の理性から方法的に誘導する応答は、容易に変更するべきでない一定の表現の形で作成、保存しそして生徒の記憶に委ねられなくてはならない。(Ⅵ,479 要約)

 

 ソクラテス的対話法の場合、質問者は教師のみであり、教師の誘導的な質問によって生徒に道徳的に「正解」のようなものを教え込まれることがある。それに対して、「道徳的問答教示法」は、生徒と教師が対等な立場で問いかけ合い、教師が様々な質問を駆使しながら生徒を補助し、自らの道徳的判断力を向上させる手助けする方法論である。

 

 「道徳的問答教示法」は、広瀬悠三の解説によれば、教義的でも対話法的でもない。この方法が目指すのは、生徒に道徳的な知識や概念を外部から教え込むことではなく、また生徒が既に持っている知識や概念を用いて議論することでもない。

 

 「道徳的問答教示法」は、「普通の人間理性」すなわち『基礎づけ』でいう「常識」から出発する。この方法は、あくまで生徒が持つ「常識」から答えを引き出すことを目的としている。

 

【参考 :広瀬悠三,2013:子どもに道徳を教えるということ -カントにおける道徳的問答法の意義を問う】

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/173243/1/eda59_291.pdf

 

 この方法では、生徒が持つ「常識」を出発点として、教師と生徒との質問と応答を展開しながら生徒の道徳的判断力を向上させていくことを目指す。このようにして、生徒が既に持っている知識や概念を活用しながら、より深い理解を促すことができる。以上が、「道徳的問答教示法」の意義である。

 

■終わりに

 以上、今回はカント道徳教育の方法論である「道徳的問答教示法」について概観した。

 

 『学習指導要領』(平成30年告示)では、「主体的・対話的で深い学び」が重視されるようになった。また、最近では「P4C」(Philosophy for Children)という哲学的な対話が注目されている。

 

【参考:『高等学校学習指導要領』(平成30年告示)】

高等学校学習指導要領

高等学校学習指導要領

 

  

 最近の哲学界でも、対話を通じた自己思考や自己成長が重視されいる。カントの道徳教育の方法論は、自己思考を促す手がかりとしても有用であると考えられる。【終わり】

 

※引用や要約する著作はすべてアカデミー版カント全集からであり、引用や要約に際し、その巻数とページ数を記載した。