[内容]
第1編 悪の原理が善の原理とならび住むこと
について、あるいは人間の本性のうちな
る根源悪について
Ⅱ 人間本性のうちなる悪への性癖について
・段落1 要約と注釈
・段落2 要約と注釈
・段落3 要約と注釈
・段落4 要約と注釈
文献
[段落1]
要約
「性癖」とは、人間性一般にとって偶然的な限り「傾向性」が可能であるための主観的根拠である。ここで問題となるのは、道徳的悪への性癖だけである。道徳的悪は、自由な「選択意志」の規定としてのみ可能である。その意志の善悪が判定されるのは、「格率」によってのみである。これが「道徳法則」から逸脱する可能性の主観的根拠の中で、道徳的悪であるに違いない。この性癖が人間に普遍的に属するものだという仮定が許されるならば、道徳的悪は悪への「自然的」性癖と名づけられる。(Ⅵ,28ー29)
注釈
「性癖」とは、人間にとって「傾向性」が可能であるための主観的根拠である。ここでの問題は、道徳的悪への性癖である。「選択意志」の善悪は、「格率」によって判断される。「格率」が「道徳法則」から逸脱する主観的根拠の中に、道徳的悪は存在する。「性癖」が人間に普遍的に属するものならば、道徳的悪は悪への「自然的」性癖と名づけられる。
[段落2]
要約
悪い心情には、異なる段階が3つある。第1は、採用した「格率」一般を遵守する際の人間本性の「脆さ」である。第2は、心情の「不純さ」である。第3は、人間の心情の「邪悪さ」である。(Ⅵ,29)
注釈
悪い心情には、採用した「格率」一般を遵守する際の①人間本性の「脆さ」②心情の「不純さ」そして③人間の心情の「邪悪さ」という異なる3段階がある。
[段落3]
要約
人間本性の脆さは、善を自分の「選択意志」の「格率」として採用する。一方、善は客観的には無敵の動機であるのに主観的には「格率」が遵守されるべき場合、より弱い動機となる嘆きである。(Ⅵ,29)
注釈
悪い心情の異なる3段階の1つ目である人間本性の「脆さ」について。善は客観的には無敵の動機である一方、主観的に「格率」が遵守されるべき場合、より弱い動機となる。この嘆きが、人間本性の「脆さ」である。
[段落4]
要約
客体に関して、「格率」は善である。しかし、「格率」は純粋に道徳的ではない。法則だけを十分な動機としてわれわれは自ら採用したのではない。「義務」に適った行為が、必ずしも純粋に義務に基づいてなされるわけではない。(Ⅵ,30)
注釈
悪い心情の異なる3段階の2つ目である人間の心情の「不純さ」について。「格率」は、純粋に道徳的ではない。なぜなら、「義務」に適った行為が必ずしも純粋に「義務」に基づいてなされるわけではないからである。【続く】
文献
Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).【続く】
※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。