ネコと倫理学

カント道徳哲学/動物倫理学/教育倫理学/ボランティアの倫理学/ネコと人間の倫理的関わりについて記事を書いています。

【要約と注釈㉑】たんなる理性の限界内の宗教|第2編第2章 一般的注解(段落1~段落4)

 

[内容]

第2編 人間の支配をめぐっての善の原理による悪との戦いについて

第2章 人間支配への悪の原理の権利主張、および両原理相互の戦いについて

一般的注解

 ・段落1 要約と注釈

 ・段落2 要約と注釈

 ・段落3 要約と注釈

 ・段落4 要約と注釈

 文献

 

[段落1]

要約

道徳的宗教の基礎が置かれることになれば、その導入部に歴史が結びつける「奇跡」すべてによって奇跡一般への信仰は不要になる。理性により人間の心情に根源的に銘記される義務の準則であるが、更に奇跡によって認証されないことには、それは道徳的不信仰を表す。単なる祭祀と厳律の宗教は、終わる。その代わり、霊と真理に基礎を持つ宗教が取り入れられることになったとき、歴史でのその序曲に奇跡が伴いその粉飾が施される。奇跡なくして、権威がなかった旧宗教が終焉する。こういう事情で真実の宗教が一旦現存して、今もこれからも理性根拠によって維持されるならば、以前の物語や解釈に異論を唱えたところで実りはない。不可解なものをひたすら信じて唱えることが、神に嘉する方法だと人は思うに違いない。このような申し立てに、全力で戦わなくてはならない。(Ⅵ,84ー85)

注釈

  道徳的宗教の基礎が置かれることになれば、単なる「奇跡一般への信仰」が不要になる。道徳と宗教が結び付けば、単なる祭祀と厳律の宗教は終わる。不可解なものをひたすら信じることが、神に嘉する方法であると思う人はいるに違いない。しかしこの申し立てに、われわれは全力で戦わなくてはならない。

 

[段落2]

要約

奇跡一般について、理性的な人は奇跡信仰を放棄する気はないのに実践的にそれを念頭に置かない。「理論」について奇跡の存在を信じるにしても、「実生活」では奇跡を許容しない程度である。賢明な政府は、「昔」奇跡が起ったことは容認してきた。これまで古い奇跡は、次第に限定されてきた。共同体内で混乱は、起らないことになっていた。新たな奇跡を行う人間について、公共の安寧や一般に普及した秩序などで及ばない結果のため、配慮しなくてはならなかった。奇跡とは、世界内の事象でその原因の「作用原因」がわれわれに端的に知られていないものである。今や、考えられるのは「有神論的」奇跡か「デーモン的」奇跡かのいずれかである。デーモン的奇跡は、「天使の」奇跡と「悪魔」の奇跡に分類される。本来問題となるのは、悪魔による奇跡である。(Ⅵ,85ー86)

注釈

 理性的な人は、実践的に「奇跡」を念頭に置かない。「奇跡」とは世界内の事象でその「作用原因」が、われわれに端的に知られていないものである。考えられるのは、「有神論的」奇跡か「デーモン的」奇跡かである。「デーモン的」奇跡は、「天使」の奇跡と「悪魔」の奇跡に分類される。問題は、「悪魔」による奇跡である。

 

[段落3]

要約

「有神論的」奇跡について、われわれは確かにその原因の作用法則について概念を作る。しかしこの概念は「一般的」概念に過ぎない。特殊な場合、神が自然をその法則から逸脱させることもあるならば、神がそのような事象をなす際に従う法則の概念はわれわれに一切ない。それを、われわれは獲得できない。これによって既知の法則に従った営みを阻まれ、新たな法則によりわれわれは啓発されることはない。こうした奇跡の中でも、理性使用と最も調和しにくいのがデーモン的奇跡である。「有神論的」奇跡に関して、理性は少なくともそれを使用する消極的表徴がある。デーモン的奇跡と称するものの場合、この表徴もなくなる。デーモン的奇跡に味方し、反対の積極的表徴を義務として認識するならば、悪霊によってなされたのではない表徴を理性使用のために掴み取ろうと思っても、掴み損ないがある。悪霊は、よく光の天使を装う。(Ⅵ,86ー87)

注釈

 原因の作用法則について、この概念は「一般的」概念に過ぎない。神が自然をその法則から逸脱させる特殊な事象をなす際に、従う法則の概念はわれわれにない。こうした奇跡の中で「デーモン的」奇跡は、理性使用と最も調和しにくい。デーモン的奇跡に味方して反対の積極的表徴を義務と認識すれば、悪霊によってなされたのではない表徴を、理性使用のため掴み取ろうと思っても掴み損ないがある。

 

[段落4]

要約

実生活で奇跡を当てにしたり、理性使用に際してこれを勘定に入れたりはできない。自然科学者の営みは、事象の原因を自然法則によってその中に求める。これも、実生活に属す。人間の道徳的改善も義務として、人間に課せられた営みである。人間は天の影響と自然の影響を、確実に区別できない。(Ⅵ,87ー88)

注釈

 実生活や理性使用の際に、奇跡を当てにしたり奇跡を勘定に入れたりできない。人間の道徳的改善も、「義務」として人間に課せられた営みである。

 

文献

 Kant.I,1793(1794):Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft(邦題:たんなる理性の限界内の宗教、『カント全集10』所収、北岡武司訳、岩波書店、2000年.).【終わり】

 

※今回、要約した著作はアカデミー版カント全集からであり、要約に際してその巻数とページ数を記載した。