【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
ブログで著名な哲学書や倫理学書の紹介を行っていたり、有名な哲学者の思想を紹介する記事をよく見かける。
確かに、哲学初心者や教養として思想を身に付けたい方には、満足できる内容かもしれない。
しかし長年、哲学・倫理学に関心を持ちライフワークとして研究に取り組んでいる私にとって、そのような記事に物足りなさを感じてきた。
入門的で分かりやすくはあるものの、より深い内容の記事をあまり見かけたことはない。
【参考:数少ない本格的な哲学・倫理学の特化ブログ】
本ブログは、より深い内容の記事を作成し読者がアウトプットできるようにすることを目的とする。ネット上で有益な記事を探すよりも、さらに踏み込んだ記事を提供することで、読者の知識や理解を深めることができるようになると考えている。
以下、本ブログの内容と想定している読者について詳しく述べる。
[内容]
■本ブログの内容
■本ブログが想定する読者
■まとめ
■本ブログの内容
本ブログの中心テーマは倫理学である。以下の3つを中心に記事を執筆する。
①カント道徳哲学
②動物倫理学
③教育倫理学
この3点について、自身の経緯を踏まえながら詳細に見ていく。
①カント道徳哲学
学生時代は、カント道徳哲学の中でも「不完全義務」に関する研究を行ってきた。
「自己実現」や「親切」などの「不完全義務」について、『道徳形而上学の基礎づけ』を一次資料として、その他カントの著作や自らのテーマに沿った書籍や論文などを検討しながら、自らの解釈を試みた。
【参考:道徳形而上学の基礎づけ】
社会人になっても、私はカント道徳哲学への興味を持ち続けていった。『三批判書』にも手を広げ、彼の魅力をますます感じるようになった。
【参考:カントの生涯と学説】
本ブログでは、どのテーマについても、私が学生時代から関わりのある「カント道徳哲学」が軸となる。これまで読んだカントに関する著作や論文についてまとめたり、考察したことをアウトプットしていく。
②動物倫理学
「動物倫理学」に関する書籍や論文は、「動物実験」や「肉食」についてのものが多い。一方、「伴侶動物」の倫理的問題についてのものはあまり目立たない。特に、犬や猫などの伴侶動物についての書籍や論文は少ないように感じる。
【参考:伴侶種宣言】
本ブログでは、特に「地域猫活動」や「保護猫活動」など具体的事例も交えながら、猫とわれわれ人間との倫理的な関係について考察する。
きっかけは、転勤先の宮古島の「ソト猫」たちである。路上で命を落としたり、「イエ猫」より寿命が短いなど過酷な状況を目の当たりにする中で、人と人以外の動物との関わり方について考えるに至った。
【参考:過去記事】
猫と人間の関係は、歴史的にも長く身近な存在である。それにもかかわらず、猫の生態についてあまりよく知られていないことを読書を通じて痛感した。
【参考:キャットウォッチング1】
それ以降、地元のNPO法人と縁ができ、保護猫や地域猫の活動に参加するようになった。定期的に保護猫カフェで猫の世話のボランティアや、TNR(Trap-Neuter-Return)活動に参加している。このような活動に参加することで、猫たちと直接触れ合い、彼らの生活や状況を身近に感じることができた。参加した活動についてもここで、報告していきたい。
【参考:どうぶつ基金】
【参考:過去記事】
また、本ブログでは、猫と人間の関わりの歴史についても触れる。「動物倫理学」の考え方をベースに、自身の活動を踏まえつつ猫と人間の倫理的な関わり方を模索していく。
【参考:過去記事】
③教育倫理学
学校現場で生徒と接していると、緊急の判断を迫られることがしばしばある。そのような場面では、状況に即した的確な指導が求められる。しかし過去には感情的になってしまったり、場当たり的な指導を行ったこともあった。
「教育倫理学」は、教育での道徳的な問題を探求する倫理学の一分野である。この分野は教師や生徒、親、教育制度などが直面する倫理的課題について研究する。例えば、生徒に対する公正な評価の問題や、教師の人権侵害に関する問題、教育の公正性や倫理的責任について考えることが含まれる。
「教育倫理学」の視点を持つことによって、学校現場起こり得る様々な問題を解消することが期待できる。また、現場での道徳的問題に対処するための指針を提供できる。「教育倫理学」は、教育の意義や目的、教育での人間形成についても探求していて、教育への新たな視点を提供してくれる可能性を持つ。
確かに、道徳教育は生徒たちにとって重要な教科のひとつある。教師と生徒、生徒同士の関係性について考える上で「教育倫理学」も重要な視点を提供してくれる。「教育倫理学」では、教育者としての教師の役割や責任、倫理的な問題への対処法などが論じられている。また、「教育倫理学」は教師の倫理観や人間性にも関わってくるため、教師自身の成長にも繋がる分野でもある。
学校は「組織」であり教師や生徒が日々交流する場でもある。その中で、教師としての役割や生徒との倫理的な関わり方について考えることは重要である。そのような状況の中で、「教育倫理学」という分野はどのような考え方や原則が求められるかを探求する。教師と生徒との倫理的な関わり方については、道徳教育がひとつのアプローチとなり得る。さらに、「教育倫理学」によってより深い探求が可能となるだろう。
現時点でカントの著作と「ケア論」をベースに、学校や生徒との倫理的な関わり方について考察することは最適解なアプローチだろう。カントは、自己決定性や普遍的道徳原則の重要性を主張しており、それらを教育でも適用することができる。また、「ケア論」は、相手を尊重し、思いやることが重要であると主張している。このような考え方を応用することで、教師と生徒の関係をよりよいものにすることができるだろう。
学んだことを実際の教育現場で活かすことは非常に重要である。「教育倫理学」の視点を取り入れた指導や生徒との関わり方を模索することで、よりよい教育環境を作り出すことができるかもしれない。また、自身の成長にも繋がり、よりよい教師としてのスキルや信念を身につけることができるだろう。
【参考:教育学】
以上、本ブログの内容3つについて見てきた。次に、本ブログが想定する読者について述べる。
■本ブログが想定する読者
本ブログは、共に勉強や実践を重ねながら思索を続けていく読者を想定している。このような読者に、これまで読んだ書籍の内容や自らの活動などを共有していきたい。
本ブログが想定する読者は、次の通りである。
・哲学・倫理学に興味・関心を持つ人物
・保護猫/地域猫活動など動物愛護に関わってきた人物
・学校現場などで実践的な取り組みを行ってきた人物
哲学・倫理学に興味・関心を持つ人物は言うまでもないが、保護猫/地域猫活動など動物愛護に尽力されている方や学校現場などで教育活動に携わる方々にも、本ブログが役に立てば幸いである。
なぜならこのような活動は「実践」が重視される一方、「理論」が軽視される傾向があるからである。「実践」と「理論」は両輪であることを忘れてはいけない。
『純粋理性批判』の中に「内容を伴わない思考は空虚であり、概念を伴わない直感は盲目である」という一節がある。これをアレンジするならば、「実践なき理論は空虚であり、理論なき実践は盲目である」。このことを意識しながら発信する。
【参考:純粋理性批判】
地域猫活動や学校現場での実践活動については、既に多くのノウハウが蓄積されている。加えて、本ブログが日々の活動でのヒントになれば幸いである。
■まとめ
以上、本ブログの内容と想定する読者について書いてきた。
本ブログは、哲学や倫理学の入門的な内容を提供することを目的としていない。また、有名な思想家を紹介して哲学や倫理学に興味を持ってもらうことを主な目的としているわけでもない。
本ブログは、哲学や倫理学的な探究心を持ちながら、動物愛護や教育現場で活躍している方々を対象とする。自らの読書体験や実践から得た知見を提供することに、主眼を置く。そのため、かなり特化した記事内容になることは予想される。
ただ、そのことが読者を置いてけぼりにすることになるわけではない。むしろ、「Webマーケティング」や「Webライティング」などの知識も併せ持ちながら、読者にとって読みやすい内容を提供するよう心がける。
【参考:沈黙のwebライティング】
試行錯誤を繰り返しながらも、「まずはやってみる」ことをモットーに、コンテンツの提供を継続していく。【終わり】
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