ネコと倫理学

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【第3回】人間以外の動物への倫理的配慮の基準は「苦痛」だけでは不十分である|久保田さゆりの議論【動物倫理学】

 

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3.動物の「豊かな内面」への理解ー久保田さゆりの議論

 

 久保田さゆりもピーター・シンガーの考え方にも、基本的には賛成である。その理由として、久保田は次の2点を挙げている。

 

 第1に、痛みはその倫理的な重要性の否定しがたい特徴である。われわれ人間も、苦痛を感じ苦痛を避けたいと考える。このことは、明らかである。

 

 第2に、痛みを感じる能力の有無について、ある程度科学的に示すことができる。他の人が、自分と同様に苦痛を感じると想定することが正当化されるならば、人間以外の動物の場合には、それが正当化できないとする理由はない。

 

 われわれが苦痛を感じるような状況に置かれた生理学的な反応や兆候も、人間も人間以外の動物も同様である。人間以外の動物への倫理的配慮の基準になる「苦痛」について、このように久保田はまとめている。

 

 しかし久保田によれば、人間以外の動物への配慮を考える際に、「苦痛」という側面に注目することだけでは十分ではない。人間以外の動物の倫理的な重みを正しく評価し、その問題を本当に深刻なものとして理解するため、「苦痛」だけでなく人間以外の動物が感じる「豊かな内面」について理解する必要がある。

 

 ただし人間以外の動物がこうした内面を持つ存在でないならば、配慮が必要でないということではない。「苦痛」を感じることも、「豊かな内面」を持つことも、配慮を考える際の様々な考慮事項の中のひとつである。

 

 内面的な豊かさを持つ存在に「苦痛」という側面だけから見るのではなく、その内面的なあり方がどれほど豊かなものであるかを念頭に置いた上で、どのような配慮がなされるべきかを考えることが、倫理的な配慮のあり方として適切な態度となる。

 

 久保田の言う「豊かな内面」に注目するという視点は、犬猫などの伴侶動物と関わるとき顕著である。野生動物に対して、伴侶動物は、人間と関わりながら生活することが前提である。伴侶動物は、昔から密接な関係を人間と結んできた。生存のためだけでなく、安心や満足といった精神的な面で伴侶動物は、人間を他の動物より必要とする。

 

 伴侶動物は、単に痛みを感じるだけでなく、喜んだり何かを期待したり楽しみを感じたり誰かに愛着を持ったりするという「内面的な豊かさ」を持つことは、彼/彼女らとの関わりから確認できる。

 

 「内面的な豊かさ」を持つ存在として理解することによって、伴侶動物への積極的な配慮ができる。このような積極的配慮が、伴侶動物以外の動物への配慮の契機にもなる。

 

 久保田によれば、「苦痛」という倫理的配慮の基準だけで、人間以外の動物を一括りに考えてはいけない。野生動物を「野生動物として」、家畜動物を「家畜動物として」そして伴侶動物を「伴侶動物として」われわれは理解しなければならない。

 

 単純に「苦痛」という基準だけでなく他の要素も加えながら、人間以外の動物への倫理的配慮について考えなければならない。【続く】

 

【参考文献】

久保田 さゆり,2016:動物の倫理的重みと人間の責務 ー動物倫理の方法と課題ー 千葉大学大学院人文社会科学研究科、2016年.https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/103626/IBA_0033.pdf

 

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